武蔵野鉄道、そして西武鉄道による貨物輸送は木材に留まらず秩父方面の武甲山の石灰石・セメント輸送から戦中戦後の一時期の糞尿輸送まで幅広く行われていて、飯能の木材はそのひとつだった(西武の貨物輸送は1996年に廃止されている)。
飯能駅の開業を受けて、飯能の町は駅を中心に発展していくことになる。古くからの市街地があった駅の北西が核で、1931年に開業した東飯能駅に向かって東へと広がっていく。
東飯能駅はJR八高線と西武池袋線が交差する駅で、駅のすぐ脇には川越を本拠とする地場の百貨店・丸広百貨店が建つ。飯能市街の第二のターミナルというわけだ。西武池袋線の飯能駅がスイッチバック構造になっているのは、延伸を計画したときにちょうど八高線の計画があることがわかり、どうせならば接続できるようにルートを決めたからだという。
遠くの町のように思えて、じつは…
駅前の大通りをしばらく歩き、飯能銀座よりももうひとつ先のこれまたちょっと大きな通りを右に曲がってまっすぐ歩いて行くと、この東飯能駅にぶつかる。道沿いは相も変わらずノスタルジックな商店が続く。途中、中層のマンションもいくつか見かけるが、やはり全体としては背の低い建物ばかりの町である。
西武池袋線で飯能までやってくる途中、所沢や入間には背の高いマンションが目立つようになってきている。ただ、そのひとつ先の飯能にはそうしたマンションはまだ少ない。裏を返せば、開発の余地があるということだろう。池袋から飯能まで、西武線で約50分。さらに東飯能駅を使えば、八高線で八王子、拝島駅で乗り換えて立川などにもすぐ行ける。とても遠くの町のように思えて、交通の便はあんがい悪くない。
それでいて、静かで自然も豊かで、ちょっとレトロな商店街。東京近郊の便利さと、地方都市のうらぶれ感もみごとに共存している。この絶妙なバランスが飯能の魅力なのだ。そして、これから大きく変わりゆく町、なのかもしれない。
写真=鼠入昌史
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。