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 健氏と妻で新生児相談室長の真琴氏は熊本駅で待機したが、陣痛が進んだことから新幹線で博多駅に向かった。博多までは約40分だ。熊本に戻る前に生まれる可能性を考慮し、やむを得ない場合は健氏のネットワークで福岡市内の病院に協力依頼することも検討した。

 博多駅のホームで蓮田夫妻が声をかけると女性は涙を流した。15分後、3人は鹿児島行きの新幹線に乗り換えた。分娩室にたどり着き、ほっとした女性を猛烈な眠気が襲った。出産は到着から約25時間後のことだった。

「あなたは赤ちゃんへの思いの強い方だと思います」

 慈恵病院にとっての「産みの苦しみ」が始まった。女性は出産したことを誰にも知られないまま地元で生活を続けることを望んだ。それは出生届の母親の欄を空欄にして提出することを意味する。提出者は慈恵病院だ。

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慈恵病院(著者提供)

 女性は退院を急いだ。長く休めば住んでいる寮を追い出されるという。健氏が女性と面談した。赤ちゃんへの眼差しからは愛情が強く感じられていた。このまま赤ちゃんと離れられるのか。健氏はこう声をかけた。

「あなたは赤ちゃんへの思いの強い方だと思います。離れたらつらいと思います。少し時間をかけて考えて何がいいかご自身に決めてもらいたいです」

 1カ月以内に赤ちゃんに会いにくることを約束し、女性は健康保険証と高校の学生証のコピーを封筒に収めて退院した。この封筒は「出自証明書」として真琴氏だけが情報を把握し、病院の金庫で保管する。赤ちゃんの出自を知る権利は担保することができた。

新生児はこのコット(赤ちゃん用ベッド)で過ごす(著者提供)

母親の欄を空欄にした出生届の扱いはどうなるのか

 退院前には熊本市子ども政策課課長と熊本児童相談所所長が女性と赤ちゃんに対面。児童相談所の仕組みを説明し、電話をほしいと伝え、併せて慈恵病院の所在地である熊本市西区の保健師の名前と連絡先を記した文を手渡した。

 だが、女性は戻ることができなかった。コロナも影響した。赤ちゃんは児童相談所が一時保護し乳児院に委託することが決まった。

 今後は母親の欄を空欄にした出生届の扱いと、棄児ではない赤ちゃんの就籍をどのような法解釈で実施するかが焦点になる。熊本市は慈恵病院が母親の欄を空欄で提出することを「公正証書原本不実記載罪(刑法157条)」に抵触するとの見解を示している。今回のケースについて、熊本市子ども政策課課長の光安一美氏は「戸籍の取り扱いは地方自治体が法令委託事務として行っている。出生届に不備があった場合は法務局に問い合わせることになる」と答えた。