クルド人を救え!
案里の人生の中で高校時代こそが、最も輝いていた時代だったのだろう。議員時代のホームページやSNSでも当時の出来事をしきりにアピールしていた印象がある。
少女の行動開始は早かった。高校1年の時点で生徒会の役員選挙に手を挙げていたのだ。
「生徒会で学校の『行政改革』をやろうとしたわけですよ。でも、職員会議にかけなきゃいけない。結局は職員会議でつぶされちゃってできなかったんだけど、機構改革案まで用意していたんです」
案里は、生徒会活動をする中である教師から言われた一言が大人になるまで耳に残っていた。「本当に不満なら、それを自分たちで変える努力をしなさい」という言葉だ。
──生徒会に参加したのは、やはりリーダーになるという野心が芽生えたからでしょうか
「ないです、ないです。私、全然そういう人間じゃないんですよ。先輩から人手がない、このままじゃ無投票になる、定員が足りないとかなんかそんな感じで引っ張り込まれたんです」
私はこの言葉を聞きながら、選挙に受かったばかりの若い政治家のインタビューを聞かされている心地になった。「出たい人より出したい人を」と言われる政治の世界では、自ら手を挙げる人間がバカにされる傾向がある。「やむにやまれずに出馬した」と言い訳するのが一種の礼儀である。
だが、高校時代の案里はもっとピュアだった。父暢俊が語るエピソードは正義感に満ちあふれ、大人になって政治の世界に染まった案里が語る「自画像」とは趣が異なっていた。
「私がよく覚えているのは、あの子が高校生の時、『クルド人を救え』というタイトルの論文をある日突然書いて、九州じゅうの高校の生徒会長宛てに手紙を出して配ったことですよ。湾岸戦争が起こって、クルド人難民が問題になった頃でした。それで募金を集めて、国際機関に送ったことがありました。昔からいじめられている子を見つけると黙っていられないたちなんです。ほかの子とは違って」
一方でこんな一面もあった。
自宅から高校までは、急峻な坂を下り、徒歩30分もあれば辿り着く。宮崎神宮の側道を通るルートである。しかし、案里は寝坊癖があり、父の車に頼ることが多かった。制服姿の女子高生が妙に慣れた感じでポルシェの助手席に座り、校門の前で颯爽と降りる。時代はバブル真っ盛りだった。