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小日向死刑囚の手記に書かれた“仁義なき襲撃”

 話は『前橋スナック銃乱射事件』の発端となる稲川会と住吉会の軋轢を生んだ『四ツ木斎場事件』から始まる。記者による補足説明とともに、手記の中身を引用する。

※誤字脱字などは正しい表記に編集。手記では、故人は実名、その他は仮名となっており、記事上でもその大部分を踏襲しています。

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《私は今、ヤクザの世界からすっかり足を洗い、報復のために、スナック乱射事件などを起こしたことを深く反省し、被害者の方々やその御遺族の方々に謝罪し、そして亡くなった方々のために毎日祈っています。

 

 この本を書くにあたって、平成から令和に時代が変わり、そろそろ話してもいいだろうと思っていた矢先に、2020年、令和2年の1月に主犯である住吉会幸平一家矢野睦会矢野治会長が、東京拘置所で自殺してしまったのです。

 

 読んでほしかった主犯者がいなくなってしまいましたが、今後同じようないたましい事件がおこらないためにも警鐘をならすべく、昔の話ですが事件当時に戻って思い出しながらつづっていきたいと思います》

 小日向が《報復》と話すのは、2001年8月に発生した『四ツ木斎場事件』のことだ。住吉会の会葬が執り行われていた四ツ木斎場で、稲川会系組織・大前田一家の幹部2人が住吉会系の組員を装って紛れ込み、住吉会系幹部2人を射殺した。

発砲事件があった当時の東京都葛飾区の四ツ木斎場 ©️共同通信社

《ヤクザの世界では、「義理場」つまり葬儀や放免祝いのことをそう呼ぶのですが、義理場での発砲事件などの抗争事件を起こすことは、絶対にやってはならない「御法度」とされているのです》

《そのあまりにも汚いやりくちは、到底ゆるすことはできず、当然住吉会VS.稲川会の一大抗争事件に発展するべく住吉会は、全組織をあげてすぐに戦争の準備を始めました。私の所属していた住吉会幸平一家も皆、襲撃準備を整えました》

 小日向がこう語るように、ヤクザ界のタブーを破った“仁義なき襲撃”に対し、住吉会内部では報復を求める声が多数あがっていた。しかし住吉会と稲川会の幹部は、事件を起こした稲川会大前田一家の解散や幹部を絶縁することを条件に手打ちとした。それでも住吉会内部の不満は収まらず、例に漏れず小日向も《納得できない》《卑怯なやり口を許せない》と「抗争」を希望していたようだ。

建て替えられた現在の四ツ木斎場 ©️文藝春秋

 小日向が所属していた矢野睦会の矢野治会長(死刑確定、2020年1月自殺)はその急先鋒だった。すぐさま稲川会への過激な報復を、傘下の組や小日向ら直参の部下に指示し始める。

 当時、矢野睦会は幸平一家の池袋の貸元として複数の組を束ねていた。小日向は若い頃に矢野に見出されて親子盃を交わし、副行動隊長として幹部扱いの立場にあった。矢野からみると“子飼い”の部下だった。