しかしながら小日向は矢野からの指示に不満を感じていたようだ。矢野は傘下の組や部下に指示し、手打ちのために解散した稲川会傘下の組幹部X総長をたびたび襲撃するも、失敗が続いていた。それでもX総長襲撃に固執する矢野に対し、こう独り言ちている。
火炎瓶に火炎放射器…ヤクザの「襲撃」とは
《(X総長の自宅襲撃について)「爆弾を投げ入れたけれど不発だった」「パネルバンのトラックの上に乗り、そこから火炎ビンを投げ入れたり、トラックの上から火炎放射器でガソリンをまいて火をつけようとした」「火炎放射器を回収するのが大変だった、だから次の襲撃の火炎放射器は、使い捨てできる物にする」と、矢野会長が言っていました。「一度やって失敗したことをまたくりかえすのか……」と思いましたが、だまっていました》
小日向は矢野に対する不満を、手記の最初から終わりまで随所で吐露している。命令には従いつつ、ずっと面従腹背を貫いていたのだと主張したいようだ。
繰り返されるX総長襲撃の最中、矢野睦会ではある事件が起きる。
《襲撃に加わっていた(矢野睦会傘下の)石塚(隆)組長が、指紋の付いたけん銃の薬きょうを現場に残してきたと、矢野会長から聞かされました。矢野会長に何事か言われた石塚組長は、「お前がやれと言ったんだろうが!!」などと、開き直ってもめたそうです。それから石塚組長は襲撃に消極的になり「俺は殺されるかもしれない」と、周りに漏らしていました。
石塚組長は警視庁の巣鴨警察署に保護を求めて飛び込んだけど、何も事件になっていないために助けてもらえず、2002年2月24日に、矢野会長は「石塚組長を車でさらって殺して埋める」という計画をたて、実行しましたが、さらう段階で抵抗されたため、その場でけん銃で撃つという事件を起こしました》
この事件は『要町事件』と呼ばれ、新聞各紙で報じられた。矢野はX総長の襲撃がうまく行かないことから仲違いした石塚を口封じのために殺害しようとしたのだろう。
矢野による“身内殺し” 勃発した『日医大ICU事件』
《石塚組長は4発被弾しながらも、日医大病院に運ばれて手術を受け、一命を取り留めました。ですが、翌25日に集中治療室の窓ガラスを割って入ってきた犯人にまたもやけん銃で背中から心臓に3発、頭に2発の計5発被弾し、執拗に追いかけられて、とうとう殺されてしまいました》
民間の病院に突如ヤクザが押し入り、入院患者だった石塚組長を殺害。『日医大ICU事件』と呼ばれ、センセーショナルに報じられた。
矢野の指示に対して事あるごとに不満を感じていた小日向だが、こうした事件もあり「逆らうと自分や家族の命が危ない」という思いを募らせたようだ。この後も手記には、不本意でも矢野からの命令に黙って従う場面が何度も登場することになる。(#2に続く)
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