2003年1月25日夜、前橋市三俣町のスナックで発生した『前橋スナック銃乱射事件』。指定暴力団住吉会系暴力団員の小日向将人死刑囚と、山田健一郎死刑囚が拳銃を乱射し、一般人の客3人を含む4人を殺害した。「文春オンライン」取材班は、小日向死刑囚が獄中で綴った便箋250枚を超える手記を入手。そこには事件に至る出来事の詳細が記されていた。
そもそもの発端は、ヤクザ界でもタブー中のタブーである「義理場(葬儀や放免祝いなどのこと)」での襲撃。稲川会系の幹部2人が住吉会の組員を装って紛れ込み、住吉会系幹部2人を射殺した、いわゆる『四ツ木斎場事件』だ。
この事件でメンツを潰された住吉会のヤクザたちは激怒した。上層部で稲川会との手打ちが成立していたが、小日向死刑囚が所属していた矢野睦会は過激な報復へ舵を切る。当時会長だった矢野治死刑囚(2020年1月、東京拘置所内で自殺)の指示で、『四ツ木斎場事件』の首謀者とされる大前田一家のX総長への襲撃を繰り返した。
しかし警察の厳しい警備なか少ないチャンスもものにできず、失敗が続いた。そこで、ターゲットが変更されたのだ。
※誤字脱字などは正しい表記に編集。手記では、故人は実名、その他は仮名となっており、記事上でもその大部分を踏襲しています。
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《新しいターゲットは、大前田一家No.2の後藤邦雄組長(故人のため実名)でした。後藤は「四ツ木斎場事件」の折、住吉会のバッチをつけ、住吉会の代紋入りのネクタイをしめて、住吉会の会葬に来て、襲撃事件の見届け人として葬儀にまぎれ込んでいたのです。
襲撃を命令した大前田一家のX(前回までのターゲット)も許せませんが、汚い襲撃を実行させた後藤も、到底許すことはできないのです》
ターゲットの変更後、小日向と矢野は2人で後藤組長の行動先である群馬県内各地のゴルフ場や練習場、スナック、パブ、キャバクラから蕎麦屋まで何度も下見をしたという。その結果、ゴルフ場からの帰り道にある、車がすれちがうことができないような細い道を襲撃の場として選んだ。
襲撃前に起きた大きな事故
2002年10月5日、群馬県内のアジトに小日向のほか、4人が向かった。しかしその往路で大きな事故に遭う。
《群馬に向かっている途中で、私が乗っていたワンボックスカーが右斜め後ろからオカマをほられるという追突事故に巻き込まれてしまったのです。三車線あるうちの中央車線をはしっていた私たちの車は、追い越し車線を猛スピードで走って来て、スピードの出しすぎで操縦不能になった車に、追突されたのでした。その反動でガードレールにぶつかり、車が横転するという事故でした。車は何度もころがって止まり、後ろの席に座っていた私は、いやと言うほど車の天井にぶつかり、鎖骨を骨折する重傷を負うという大変な事故でした》
小日向が救急車で搬送された病院ではしっかりとした治療が受けられず、東京で診断を受けることになった。そこで鎖骨が骨折していることが判明し、CTスキャンでも脳に影がみられたため、入院することになった。