2003年1月に発生した『前橋スナック銃乱射事件』。実行犯である小日向将人死刑囚が書いた手記には、ヤクザ同士の抗争で一般人3人を含む4人が殺害されるという悲劇的な事件に至る経緯が詳細に書かれていた。
事件のきっかけとなったのは、ヤクザ界でもタブー中のタブーと言われる「義理場(葬儀や放免祝いなどのこと)」での襲撃、『四ツ木斎場事件』だ。稲川会系の幹部2人が住吉会系の組員を装って紛れ込み、住吉会側の幹部2人を射殺。この事件で住吉会のヤクザはいきり立った。
当時、住吉会幸平一家矢野睦会会長だった矢野治死刑囚(2014年死刑確定、2020年1月東京拘置所で自殺)は傘下の組や部下に対し、稲川会系大前田一家元幹部で四ツ木斎場事件の実行を指示したとされるX総長への襲撃を繰り返し指示。
一方、襲撃に加わっていた矢野睦会傘下の石塚隆組長が矢野の指示によって殺害されるなど、矢野睦会の内部崩壊も始まっていた。小日向死刑囚も稲川会への報復を絶対としながらも、“身内殺し”をいとわない矢野死刑囚へ強い不信感を抱く。
そして稲川会系元組幹部X総長に対する襲撃失敗が続いていた2002年2月頃、矢野の指示で小日向死刑囚も襲撃に参加することになった。小日向死刑囚は矢野睦会本体に所属していた矢野死刑囚直属の部下。矢野死刑囚が信頼をおく “子飼い”として、襲撃のメンバーに加わったのだ。
※誤字脱字などは正しい表記に編集。手記では、故人は実名、その他は仮名となっており、記事上でもその大部分を踏襲しています。
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《また大前田一家のX総長に対する襲撃が始まりました。矢野会長からの指示は、「Xを殺せ」ではなく「家に火をつけろ」というもので、私たち若い衆の間では、
「何で火なんかつけるんだろう、過激派じゃあるまいし」「そんなことしてもしょうがねえじゃねえか」と話していました》
しかし若い衆らが会長の命令に意見することはなく、襲撃の下準備が始まる。そこで出てくるのが火炎放射器だ。この馴染みのない武器について、手記ではこう詳述されている。
《この火炎放射器は、鉄のタンクにガソリンを入れて、ボンベの栓を回し、付属のメーターの針を何気圧かにセットして、タンクの下のコックを開けるとホースからガソリンが勢いよく放出されるという物でした》
火炎放射器とガソリンを準備し、小日向らはX総長の住む前橋方面に向かうことになった。襲撃時に移動で使う自動車は、あとになって足がつかないよう盗難車が準備されることが常だったようだ。
襲撃メンバーは埼玉県所沢市に集合し、群馬方面に向かう。そのルートも迂回した複雑なものだった。
《私たちは、関越自動車道で行けば、群馬まですぐですが、これも矢野会長の指示で遠回りして行くことになりました。関越自動車道の所沢インターチェンジの上りの高速道に入り、そこから東京外環道に入ってそこから東北自動車道に入り、佐野藤岡インターチェンジで東北自動車道を降り、一般道の国道50号線を通って群馬入りするという回り道でした》