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矢野が過激化「テロリストのようなことを…」

 この「火炎放射器作戦」失敗後も矢野は諦めることなく、より過激化していった。

《「Xの家をロケットランチャーでふっとばす」などと言い出したため、そんなことをすれば検問が厳しくなり、逃げられなくなるとのことで、群馬県と埼玉県の境になる川を渡って逃げようという矢野会長のたくらみから、実際に渡れる所があるか調べてこいと言われ、B総本部長と川を下見に行きました》

 この頃になると小日向の心中にはかなり不満が溜まっていたようで、初めて矢野に直接不満を伝えている。

《矢野会長と久しぶりに顔を合わせた日に、手まねきされて耳うちされ「もう入っているからね」とロケットランチャーが手もとにあると言ってきたのです。テロリストのようなことをさせられるのかと、暗い気持ちになりました。その時は指をつめてことわろうと思いました。思いきって矢野会長に「一から十まで全部私にやらせるつもりじゃないでしょうね?」と聞いてみました。

 

 つまり、足のつかないとばしの携帯電話や、盗難車や偽造ナンバー、けん銃の入手やアジトを探したり、道をしらべたり、Xの家の襲撃など、色々やらされてきましたが、最後の最後まで、全部私にやらせるつもりなのかと問い質してみたのです。矢野会長は「そんなことさせない。大丈夫だ」と答えてくれたのです。その言葉を聞いて安心したのでした》

襲撃に使用された武器の「証拠隠滅」

 ちなみに、手記では襲撃に使用された武器などの「証拠隠滅」についても詳らかにされている。ヤクザの拳銃管理について知ることのできる重要な証言だ。

小日向の手記 ©️文藝春秋

《東京湾に浮かぶ第一海堡という第二次世界大戦で大砲を備え付けられ、東京湾に入って来る敵戦艦を攻撃するための小さな島があるのですが、その島に埋めて隠してあったけん銃を処分するために荒井組長(仮名)のクルーザーで島に行き、掘り起こして回収して、すべてを海に捨てたことを覚えています。

 

 なぜ使った銃を捨てず、埋めておいたのかはわかりませんが、これはすべて矢野会長の指示でやったことでした》

 結局、報復のターゲットが変更されたことでロケットランチャーもどこかへ隠匿されたようだが、小日向は矢野への鬱憤を募らせていく。次にターゲットとされたのが大前田一家No.2だった後藤邦雄組長(故人のため実名)だ。そして後藤組長への襲撃が、後の『前橋スナック銃乱射事件』へとつながっていく。

 小日向死刑囚は最後の最後まで、つまり、襲撃の実行犯まで務めることになる。(#3に続く)

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