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知られざるヤクザの“アジト”「天井からマシンガンが…」

 一行が到着したのは《3LDKのきれいなマンションの一室》。襲撃準備をするための“アジト”だ。

《誰かが「こんなにきれいなアジトがあったのか」と言っていました。そのアジトは広さの割に家具といえば、冷蔵庫とコタツがあるくらいでした。

 

 しばらくコタツでくつろいでいると、A本部長がフロ場の天井から黒いバッグを出してきました。中には襲撃に使うマシンガンのウージーや、けん銃3丁と、手榴弾1つと、マシンガンやけん銃に適合する実弾数十発が入っていました。それと黒っぽいジャージ上下も4組ありました。各自、作業着の上からジャージ上下を着ました。あとは目出し帽が4組ありました》

火炎瓶での襲撃をした際に潜伏したアジトである《3LDKのきれいなマンションの一室》があった場所の周辺 ©️文藝春秋 撮影/上田康太郎

 なお、手記では複数の群馬県内にあったアジトについての描写もあった。張り詰めた状況下で唯一、仲間と気を休められる場所だったのか、襲撃の指示を待ってコタツでビールを飲みながら雑魚寝をする様子などが印象的だ。

《アジトの中では密偵君(抗争相手側にいるスパイ)の情報で、Xの家の様子や具体的な襲撃方法のおさらいなどを、アジトにあったカップラーメンやビールを飲みながら話し合っていました。そうしてコタツでみんな雑魚寝するような形で眠りました。夜12時を回っていたと思います》

火炎瓶でX総長の自宅を襲撃へ

 そしてついに、X総長の自宅を襲撃する2002年3月1日を迎える。

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 早朝、現場の指示役は小日向とは別の組員に火炎瓶を作るよう指示。ビール瓶にガソリンを入れ、新聞紙を先に詰めたものだった。小日向はこの火炎瓶にも不服だったようだ。

《「ガソリンをよく吸い上げるし火もつきやすいから、(新聞紙ではなく)タオルにした方がいいんじゃないですか」「火炎放射器の鉄パイプの先にタオルを巻き付けて火をつけておけば、火炎ビンを投げなくとも、本当の火炎放射器になります」》

 小日向はこう進言したというが、聞き入れられなかった。そして午前9時半ごろ、一行は現場に到着。襲撃を開始した。

マシンガン「ウージー」の試射をしたとされる渋川市赤城町棚下(旧赤城村棚下) ©️文藝春秋 撮影/上田康太郎

《「行くぞ」と言って、B総本部長が火炎放射器のホースを2本出して、CちゃんとDに渡しました。そして、「出すぞ」と言い、火炎放射器のバルブを開けました。すると、ガソリンが勢いよくホースから飛び出し、CちゃんとDはXの家にまんべんなくガソリンをまいていきました。

 

 ガソリンをまき終わると、次はB総本部長が火炎ビンをボンゴ(自動車)の屋根に上げて、それにDが火をつけ、Xの家にCちゃんとDが投げ込みました。Xの家は火炎ビンが投げ込まれないように鳥カゴのようにネットが高くはりめぐらされており、そのネットより高く投げ込まなければなりませんでした。

 

 その他に、発煙筒や手榴弾も投げ入れました。しかし手榴弾や火炎ビンも爆発しませんでした。火をつけた火炎ビンがボンゴの屋根からころがり落ちて割れましたが、火はつきませんでした。

 

 これではいくら投げ込んでも火などつくはずがありません。やはり新聞紙ではなく、タオルをビンの先につめて火をつければよかったのだと思いました。その前にパイプの先に火をつけておけば火炎放射器になり、火炎ビンなど投げ込む必要などなかったのです。進言を聞き入れてもらえなかったのであとの祭りです。すると、前方からXの若い衆らしき者たちが、10数人広がって向かって来ました。そこで私は「来たぞー」と皆に知らせました》

 集まってきた抗争相手の若い衆に威嚇発砲するなどして、小日向らは現場を離れた。こうして小日向が《お粗末な作戦》と評した襲撃はあっけなく終わった。