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「金メダルはどこにいったんですか?」という問い合わせに…

 選手時代に使用したスキーセット、獲得したカップや賞状などとともに、札幌五輪でたった1個の貴重な日本初の冬季競技の金メダルが町に贈られ、住民たちが集まる仁木町山村開発センター内の郷土資料室に展示されることとなった。

仁木町の山村開発センターにある笠谷コーナー。以前はここに金メダルが置かれていた。

 当時はこの庁舎に教育委員会も入っていたため夜の警備もそれなりだったものの、1999年に役場庁舎を新築したのに伴い、教育委員会が新庁舎に移転することになった。そこで「もし盗まれでもしたら大変」と担当職員が保管することになった。それまでメダルが置かれていた場所には代わりに笠谷の写真パネルが設置された。

 その後、職員の異動などもあって、金メダルのことはすっかり忘れ去られてしまったのだという。それからしばらくたって、地元紙の記者から「笠谷さんの金メダルはどこにいったんですか?」と問い合わせがあったが、誰もそのありかを知らない。「もしかしたら盗まれたのかも」と、盗難騒ぎが起きたが、ほどなくして職員が気を利かせて机の中に保管していたことがわかったのだという。

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 現在も同センター内には『笠谷幸生選手展示コーナー』がある。今回の北京大会が始まる直前に仁木町に電話を入れると佐藤聖一郎町長が「4年前の平昌大会の時に数週間だけ展示して町民に見てもらったこともありますが、警備の問題もあって、今は教育委員会の金庫の中にあります」と話した。

トワ・エ・モワが歌う「虹と雪のバラード」とともに

 笹川スポーツ財団が2月4日に配信した「冬季オリンピックの歴史」を参考に「あの日」を振り返ると50年前の1972年2月、五輪を開催するための直接経費173億円、地下鉄や自動車専用道路建設など都市整備費に2200億円を投じて札幌冬季オリンピックが開幕した。

 札幌が大都市に発展する基盤が整備され、トワ・エ・モワが歌う「虹と雪のバラード」が大ヒットした。あとは、日本勢がメダルを取れるかどうかだった。

 そして迎えた大会4日目の2月6日。抜けるような青空が広がったなかで70メートル級ジャンプ(現ノーマルヒル=NH)が宮の森ジャンプ競技場で行われる。朝から約2万5000人もの観客が押し寄せていた。

 午前11時に1本目の試技が始まった。日本勢はまず金野昭次が82メートル50の大ジャンプで観客を沸かせた。2番手の青地清二は83メートル50を飛び、3番手の藤沢隆も81メートルと続く。エース笠谷は45番目だ。ここまで日本勢3人が上位に並んでいる。

 笠谷は美しいフォームで弧を描くと最長不倒の84メートルを飛び、トップに躍り出た。

 そして2本目。スタート地点が少し下げられたため距離は出ない。金野は79メートル、青地は少し力んで77メートル50。2位と3位が入れ替わり、藤沢は踏み切りのタイミングが合わずに飛距離を落とし、メダル圏外に去った。