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「金メダルはどこいった?」一時は盗難騒ぎも…日本初の冬季五輪金・笠谷幸生のメダルが人口3000人の町の金庫に眠っている理由

2022/02/07
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「さあ、笠谷、金メダルへのジャンプ!」「飛んだ、決まった! 見事なジャンプ」

 のちに大相撲の放送で人気となるNHKの北出清五郎アナウンサーの名台詞とともにきれいなテレマーク姿勢で着地した笠谷幸生が金メダルを獲得したのは1972年札幌五輪スキージャンプ・70メートル級でのこと。2022年2月6日に北京オリンピックのスキージャンプ男子ノーマルヒルで、小林陵侑が金メダルを獲得したが、笠谷の金メダルはそのちょうど50年前の出来事だ。

 この金メダルは日本人選手の冬季五輪金メダル第1号となった。その歴史的快挙から半世紀、日本のスポーツ界にとっても歴史的な価値がある “笠谷の金メダル”は、いま北海道の人口約3000人の町の教育委員会の金庫に眠っているという―ー。

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ジャンプする笠谷幸生選手 ©️時事通信社

冬季五輪史上、日本初の金メダルがある北海道の仁木町

 北海道の西側に角のように突き出す積丹半島の付け根にある仁木(にき)町。NHKの朝ドラ「マッサン」で有名になったニッカウヰスキー北海道工場がある余市町に隣接し、小樽からは車で30分ほどの果樹栽培が盛んな農業の町だ。

 2021年末に3165人にまで人口が減り、過疎対策に頭を悩ませているが、その町の金庫に、大切な金メダルが今もしまってある。

「以前は町の山村開発センターのロビーに展示していましたが、庁舎の新築に伴って教育委員会が移転したことで警備上の問題が発生し、現在は写真パネルにしています。警備にお金がかかるため、ここに保管してあります」

 当時の教育長が、鍵付きの自分の机の引き出しから取り出した金メダルは1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ70メートル級で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の金メダリスト・笠谷幸生のメダルだった。

わが国の冬季五輪史上初の金メダル(2014年撮影)

一時は「盗難に遭ったのではないか」と大騒ぎに

 今から8年前の2014年2月、ロシア・ソチ五輪の開幕直前。ソチ大会で女性のジャンプ競技が初めてオリンピック種目となり、当時ワールドカップで優勝を続けていた高梨沙羅(現クラレ)が金メダルを獲得する可能性があったため、私は日本の冬季五輪の金メダリストのその後について調べていた。その中で、“金メダル第1号”笠谷の生まれ故郷が仁木町にあることを知り、現地に向かったのだった。

「一時は、盗難に遭ったのではないか、と大騒ぎになったのですが職員が気を利かせて机の中にしまっていたんです」

 当時の教育長は、日本の冬季五輪史上貴重な第1号メダルの「盗難騒ぎ」について私に教えてくれた。その顛末は次のようなものだった。

 笠谷は現役引退後、全日本スキー連盟の役員を歴任し1988年のカルガリー五輪で全日本スキー連盟のジャンプコーチとして上位入賞を狙った。

 ところが当時「鳥人」と言われたフィンランドのマッチ・ニッカネンが70メートル級、90メートル級の個人戦を圧倒的な強さで制した。そのうえ団体戦もフィンランドが優勝。

 日本勢は90メートル級団体と、佐藤晃(東京美装)が70メートル級個人で11位をとったのが最高順位。惨敗だった。

 大会終了後、当時の日本チームは世界と互角に戦える選手層ではなかったこともあり、笠谷の責任論は持ち上がらなかった。しかし、笠谷にとっては辛い時期だったのかもしれない。その後、ニッカウヰスキー東京本社広報部副部長兼お客様相談室長への異動を機に、連盟の強化コーチを退任。笠谷は「育ててもらった郷土の子どもたちに見てもらいたい」と、この金メダルを仁木町に寄贈することを申し出た。