母を思う気持ちと拒絶したい気持ちが同居する
幸は学校の帰り道、近所で暮らす母方の祖母に公衆電話からこっそり電話をかけて、母のことを相談するようになった。孫を心配した祖母は、料理ができなくなったミユキの代わりに、幸にお弁当を作ってくれたりした。
幸からのSOSを、祖母が記録した手帳がある。
「2011年1月20日 3連休はデパート、天然温泉、食事に連れ回される。夜中の12時前まで」
「大変だった。独り言を言い、笑い、食事を強要する。それも大きな声で」
「2月24日 幸ちゃん学校を休む。担任の先生に学校を休ませないよう協力をお願いする」
さらに祖母のメモによると、幸が置かれた状況はこんなぐあいだった。
学校を休ませる/勉強させてくれない/友達と交流ももたせてくれない/本人の意志を全く聞いてくれない/無視/夜中の12時ごろまで連れ回す
2011年2月27日。幸はこの日の出来事を克明に覚えている。
深夜11時、いつものように連れてこられた梅田のファミリーレストランで、ミユキが勝手にステーキを注文した。幸は仕方なく食べたが、肉を口に運んでいると気分が悪くなった。吐き気がしてきた。
それでも目の前のミユキは「食べなさい」と強要した。
長いこと張り詰めていた、心の糸がその時プチッと切れた。
「もう無理。助けて」
母に隠れて携帯電話を操作し、別居している父と親族にメールを送った。すると父が迎えに来てくれた。怒って母に何か言っていた。
「やっと離れられる」
後日、祖母が区役所や児童相談所に相談をもちかけたが、「母親を入院させるべきだ」などと言うばかりで、何もしてくれなかった。それが難しいから相談してるのに、と幸は思った。
幸がたまらず「気持ち悪い」とミユキに言い放つ時もあって、そんな時は心が痛んだ。
「お母さんが心を許しているのは私だけなのに」
仲良しだった母を思う気持ちと、拒絶したい気持ちが葛藤していた。
幸が中学を卒業する直前、親族が集まってミユキを入院させた。その日の朝、母方の親族が数人で家にやって来て、嫌がるミユキを車に連れ込むと、病院まで送った。力ずくで連れて行かれるミユキの姿を見るのがつらくて、幸はその時間は家を空けていた。「やっと離れられる」とほっとしたのも事実だった。