母の病名は「統合失調症」
ミユキは「統合失調症」と診断された。幸はその時、初めて母の病名を知った。そしてその病気について、本を読んだりして勉強するようになった。
高校に入学した幸は祖母の家へ移り、自由を手に入れた。
勉強したり、部活をしたり、友達と遊んだりと、ようやく自分の時間が持てるようになった。ミユキは入退院を繰り返しながらも病状が改善してきて、また一緒に暮らせるようになった。幸は失った時間を取り戻すかのように勉強して、大学に合格した。
ある日、中学の卒業アルバムを見返していると、クラスで撮った写真の中の1枚に目が留まった。自分が写っていなかった。
「あ」
私、この日休んでたんや。
2020年の初頭から数回取材に応じてくれた幸に、こんな質問をした。
振り返って、その頃のお母さんのふるまいをどう思いますか?
「家事ができないから、外食や銭湯で、母親としての務めを果たそうとしたのかもしれないなと今は思います。『ちゃんとしないと』という気持ちが強い人だから」
幸はもう成人だ。好きに生きた方がいいよ、と友達は言う。しかし幸は「私とお母さんは2人でセット」という感覚が抜けない。
孤立する人たちに焦点を当てて、その力になりたい
「母と何か話したいけど、別に話すことはない、みたいな。元々の関係が悪くなかったから。でもそこに母の病気が来て、引き裂かれたという感はあって。それがなかったら、割と普通の仲のいい親子だとは思うんですけど」
幸はいまだに、ファミリーレストランに行くと嫌な気持ちになる。他人と一緒に食事をするのも苦手だ。どうしてもあの時の自分を思い出してしまうから。
だが、恨んでいるわけでもない。
「今振り返ると、誰も悪くないし、防ぎようもなかったかなと思う。仕方なかったんや、と受け入れています」
20年春、大学院に進んだ幸は1人暮らしを始めた。実家を出るのは自分で決めた。母から離れることが、自分の将来や家族のあり方を考えるきっかけになると思ったからだ。
時はコロナ禍。授業は1年近くオンラインでの対応が続いた。思い描いていた学生生活とは違うけど、アルバイトを始めて、恋愛もした。
「最初は家の外に出ることに怖さもあったけど、今はだいぶ慣れました」
大学院ではヤングケアラーを研究している。
家族のケアから離れた後も、自分の心に影響を抱えている人は多いんじゃないか。孤立する人たちに焦点を当てて、その力になりたい。
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