病気や障害のある家族の介護に忙殺され、本来受けるべき教育を受けられなかったり、同世代との人間関係を満足に構築できなかったりする子どもたち。「ヤングケアラー」と称される彼らが抱える負担はいまや一つの社会的な課題となっている。
子どもたちがヤングケアラーとなる背景には何があるのか。そして、どのような対応が求められているのか。ここでは毎日新聞取材班による『ヤングケアラー 介護する子どもたち』(毎日新聞出版)の一部を抜粋。病気の影響で様子が変わった母と暮らし続けた女性の体験について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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中1の深夜、あてなき伴走
大阪・梅田。
JR大阪駅は、毎日85万の人々を飲み込んでは吐き出す玄関口だ。そこから西日本最大の繁華街へ足を一歩踏み出せば、巨大なデパートと洗練されたオフィスビル、雑多な飲食店などが熱気と混沌、そして不思議な調和を見せる。高層ビルの建設が相次ぎ、今も街は刻々と表情を変え続けている。
2011年1月の深夜。
その街を、母と子があてもなく彷徨っていた。
「どこに行くん?」
中学1年生の北川幸(仮名)は、母のミユキ(同)に連れられて歩いていた。母の目的地を幸は知らない。
デパート、銭湯、レストランとめぐった。ミユキはブツブツ独り言をつぶやきながら、同じ道を、行ったり来たりを繰り返している。ミユキの挙動に注がれる通行人の怪訝そうな視線が、幸はたまらなく嫌いだった。
いつになったら帰るんやろ。どこに行くんやろ。早く帰りたいな──。
家に着くと午前0時を回っていた。明日は学校なのに。
「いつ終わるの? こんな生活、もう限界や」
幸の胸は絶望でいっぱいだった。統合失調症を患った母なりの、娘とのコミュニケーションだったのかもしれないと思えるようになったのは、ずっと後のことだ。
独り言はだんだん大声に
幸は大阪市で生まれ、大阪で育った。
幼稚園の時に両親が別居し、母と2人で市内のマンションで暮らしていた。病気になる前のミユキは多趣味でお出かけ好き。幸の小学校のママさんバレーにもいそしんだ。幸にとって仲良しのミユキはひそかに自慢の母だった。
ところが、幸が小学校高学年になると、ミユキは家で寝込むことが多くなった。
はっきり違和感を覚えたのは幸が小学6年生の時だ。
ミユキが聞き取れないほどの小声で独り言を繰り返し、虚空をみつめて笑っている。呼んでも返事がない。自分の世界に入り込んでいるように見えた。
「お母さん、私を無視してるの?」
そんなふうに戸惑う日が増えた。
統合失調症の知識なんて、まだ子どもの幸にはもちろん無い。2人暮らしの家には相談相手もいなかった。
幸が中学に入ると、ミユキの行動はさらに予測できないものになった。あんなに得意だった料理や洗濯、掃除をしなくなった。独り言はだんだん大声になってきた。幸が自分の部屋にいても聞こえてくるほどに。
全然理解できない母のつぶやきを聞きたくなかった。部屋に籠って耳にイヤホンをつけ、ずっと音楽を聴いて独りで過ごした。