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「それを言っちゃあ、おしまいよ」阪神・矢野監督の「今季で退任」発言をOB江本孟紀が“ぶった切り”「一番迷惑なのは、選手よりも…」

2022/02/09
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「それを言っちゃあ、おしまいよ」という禁じ手を使ってしまった

 だからこそ考える。矢野監督自身が「今年辞めるつもりで采配をふるう」という覚悟を内に秘めているのは構わない。またシーズンの成績がふるわなく、その責任をとって自ら「辞める」と言い出すのもこれも致し方ない。

 だが、「辞める」ことをキャンプインの前日に口に出してしまうのは、あまりにも稚拙すぎた。自身の発言が周囲にどれだけ影響を与えるのか、そこまで思いを致したとは到底思えないし、実際には矢野の家族と井上一樹ヘッドコーチには相談したと言う。けれども『男はつらいよ』の寅さんではないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」という禁じ手を使ってしまった感は否めない。

 それでは選手はどう考えるだろうか。私は監督の辞任云々は関係なく、これまでのシーズンのような結果を残す確率が高いと見ている。なぜなら結果を残さなければ自分の身にダイレクトに跳ね返ってくるからだ。

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2005年の優勝の時 ©文藝春秋

 成績を残せば年俸がアップするし、逆ならばダウンするだけでなく、場合によってはユニフォームを脱がざるを得ない事態だって起こりうる。それだけに選手は矢野監督が続けようが辞めようが、一定以上のモチベーションを維持することは十分可能なはずである。

コーチは「この監督のために……」という気概を持てない

 問題は「矢野監督の下で働くコーチたち」である。

 コーチの中には当然、矢野監督になったことで縦じまのユニフォームを着た者もいるだろうし、矢野監督だからこそ今日までコーチでいられた者もいる。そうした人物が本当に指導者としての能力と適性があるかどうかはさておき、彼らが「矢野監督が辞めることで、来年も阪神のコーチでいられる可能性が低くなった」ことはまぎれもない事実である。


 本来、監督自らコーチとして引っ張ってきた人材ならば、一蓮托生であることが多い。だからこそ「この監督のために1年間、必死になって選手を指導して、一人でも多く一軍で活躍する人材を供給する」のがコーチの務めだ。

江本氏 ©文藝春秋

 結果、シーズンが終わって優勝するのがベストだが、仮にも成績不振で監督が辞めてしまって自分たちも辞めることになってしまったらそれはそれで仕方がないと覚悟を決められる。全力で取り組んだ結果、思うような成果を残せなかったとしたら、指導力不足だったと自身の至らなかった点を省みて、次のステージへ進むことができるからだ。

 ところが肝心の監督がキャンプイン前日にシーズン終了後の退陣を早々に宣言してしまった。こうなると話は大きく変わってくる。「この監督のために……」という気概を持てないことだって大いにあり得る。それに、シーズンが終われば自らもユニフォームを脱ぐ可能性が高くなれば、選手に対する指導もおざなりになってしまうことも十分考えられる。

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