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矢野監督がベンチで行う「子どもじみた行為」

 それだけではない。選手の立場からすれば、「今年1年、この監督やコーチたちと一緒に戦っていきたい」と考えていたところ、一軍を指揮する監督から突然、「今年限りで辞める」と言われたら、間違いなく戸惑う。そのうえ目の前で指導しているコーチが全員いなくなってしまう可能性が高ければ、コーチの言うことを聞かなくなる選手だって出てくるかもしれない。

 シーズンに入ればチームの成績もいいときもあれば悪いときもある。いいときはともかく、悪いときに監督を支えるのがコーチの務めであるが、今年で辞めると決まっている監督にどれだけ忠誠心を働かせられるのだろうか。この点は大いに疑問を抱かざるを得ない。

 さらにもう1つ懸念しているのが、「矢野監督のベンチでの立ち居振る舞い」である。

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 矢野監督は退任表明をした際、「優勝するためには、『オレたちの野球』を貫く」と宣言した。つまり、選手を下の名前で呼んでみたり、「矢野ガッツ」と呼ばれるガッツポーズを見せて選手を鼓舞する姿を今年も見せるつもりのようだが、いい加減こうした振る舞いは「子どもじみた行為」であることに気がつくべきだ。

佐藤輝明選手 ©時事通信社

 私の周辺の人、とりわけ野球界とはまったく無縁の人たちから、ここ2~3年の間、こんなことをよく聞かれた。

「いつから野球界は監督やコーチが選手のことを苗字ではなく、下の名前で呼ぶようになったんですか?」

選手を下の名前で呼ぶのは「愚の骨頂」

 昔の人、とくに60代以上の人たちからすると、「下の名前は親がつけたもの」であり、親だけが呼べる特権のようなものと考えている人も多い。もちろん私の現役の頃は監督やコーチからは苗字で呼ばれていたし、それが当たり前だと思っていた。

 けれども今の時代は違う。監督やコーチが選手のことを下の名前で呼ぶことが当たり前のようになっている。このことは阪神も例外ではなく、矢野監督は選手のことをニックネームで呼ぶのは当然のことだと考えているようだし、他の球団でもしばしば見られる光景である。

金本前監督とコーチ時代の矢野氏 ©文藝春秋

 たしかに選手同士や先輩と後輩の間で、下の名前やニックネームで呼び合うのはいい。法政大学時代、1学年上の田淵幸一さんや山本浩二さん、明治大学にいた星野仙一さんらは互いを下の名前で呼び合っていたし、田淵さんや山本さんから私は「エモ」と呼ばれていた。私が阪神に移籍した後、後輩の掛布雅之に対しては「カケ」と呼んでいたし、他の選手たち同士でもそれぞれのニックネームで呼び合うこともたびたびあった。

 けれども監督やコーチといった指導者の立場にいる人たちは違う。選手同士とは違って一定の距離を保つためにも苗字で呼ぶことが必要だ――。少なくとも私はそう考えているのだが、なぜ監督やコーチが選手のことを下の名前で呼ぶようになってしまったのだろうか。

 ある球団では、監督やコーチを交えた研修で外部からマナー講師を招いて講習会を開き、「選手の下の名前を呼ぶことで、彼らとの距離を縮めることにつながる」という指導を行っていると聞いた。