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「選手とのコミュニケーションをとるにあたって、まずは選手にあなた(監督やコーチ)という存在を信頼してもらわなければなりません。その1つが選手を下の名前で呼ぶようにすることです」

 ということらしいが、私に言わせればこんなものは愚の骨頂である。

指導者と選手は一線を引いた関係であるべき

 たしかに選手に鉄拳制裁を加えるといった暴力行為は今の時代はやってはいけないし、今の時代にそれを押し通すような指導者は退場してもらわなければならない。

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「私たちの時代は『アホ、ボケ』と呼ぶことが許された」ことが本当だったとしても、現在同じ時間軸のなかで生きている若い選手たちには通用しない理屈である。

 けれども「選手を下の名前で呼ぶこと」で本当に選手との距離が縮まるのかどうかと言われれば、私は疑問を感じずにはいられない。選手のことを苗字で呼ぶコーチであっても、その人に裏付けされた理論や確かな指導力があれば選手は自然と慕ってくるはずだからだ。

 私は何でもかんでも今の時流に合わせたやり方をよしとする風潮には違和感を覚える。とくに野球界は「指導者と選手は一線を引いた関係であるべきだ」と考えている。

大山悠輔選手 ©時事通信社

中田翔の暴力事件を防げなかった栗山監督の責任

 昨年8月、チーム内で後輩選手への暴力事件が発覚した日本ハムの中田翔の問題が最たる例だが、現場を預かる栗山英樹監督は普段から選手のことを下の名前で呼んでいた。

 中田についても、グラウンド内では下の名前の「翔」と呼んでいたが、そんなことに気を遣わずに普段から栗山監督、もしくはコーチが目を光らせて中田のことを厳しく注意していれば、このような事態までにはならなかったはずだ。

 些細なことに思えるかもしれないが、私にはこの「問題」が抱える“本質”はかなり大きいと思っている。選手を下の名前で呼ぶことではたして指導者と選手との関係が本当に改善されているのか、この点について誰かがデータを示してほしい。

 矢野監督に対して最後に指摘したいのが、「ベンチ内でのガッツポーズしている姿」である。

野村克也氏(阪神監督時代) ©文藝春秋

 一昨年の2月、野村克也さんが亡くなられたときに、矢野監督は、「選手時代にたいへんお世話になった。野村野球を受け継いでいきたい」などと発言していたが、野村さんは監督時代、どんなに勝っていようが負けていようが、あるいはどんなに選手がヒットを打とうがベンチ内でガッツポーズをすることなんてあり得なかった。

 私が南海でプレーしていたとき、当時プレイングマネージャーだった野村さんは、ベンチ内でこんなことをよく話していた。