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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

2022/02/12

source : 文藝春秋

genre : スポーツ

“唯我独尊的”行動に関係者は陰口も

 3冠監督とはいえ、山田の唯我独尊的な行動に眉をひそめる関係者は多く、ジュニアの育成も「自分のチームを強くするための巧妙なスカウト策」と陰口を叩かれていた。

ミュンヘン五輪で小島JAPANは銀メダルに終わっていた ©共同通信

 山田に代わって、再び全日本監督に選ばれたのがユニチカ(ニチボーから改名)率いる小島孝治だった。

 小島は大阪・四天王寺高校の監督時代、14年間で9回日本一を成し遂げ、大松博文の後を継いでユニチカを率いている関西バレーボール界の星だった。

 常にライバルとして山田と対比されてきたが、明るい性格から信奉者も多かった。

 転がり込んできた椅子とはいえ、小島のモスクワ五輪に賭ける熱意は火傷しそうなほど熱かった。

「大松、松平(男子バレー)、山田は金メダル監督になった。銀メダル2つ(70年世界選手権、ミュンヘン五輪)は俺だけや。モスクワでは絶対に金メダルを獲ってやる」

 当時の全日本の中心選手は横山樹理、小川かず子などユニチカ勢が占めていたことも幸いした。

 小島はさらに厳しい練習を課し、78年11月に行われた全日本総合選手権で、国内95連勝中の日立を下し、ついに8年ぶり11度目の優勝を遂げた。

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