ミカンには、一度実をつけた枝には、翌年は実が成らない(隔年結果)という性質があります。ですから、毎年同じ程度の量で、なおかつ高品質なミカンを成らせるためには、剪定を通した調整が必要不可欠になります。基本的には実をつけた枝は剪定して切り落とし、新しい芽を出させ、翌年にミカンが成る枝へと育てます。
ただ、あまりに枝が込み合いすぎてもミカンに日光が当たらなくなったり、玉の大きさが小さくなったりする等の問題が生じます。このため、剪定して出てきた新芽から育った枝を全て残すという機械的な対応ではなく、全体の樹勢を見ながら、翌年や翌々年のことまで見越してバランスをとるのが重要だと言います。
さらに、剪定だけでなく、摘蕾という技術を用いています。受粉して実を成らさせずにつぼみの内に花を摘んでしまうと、その年にはミカンが成らない。ただ、その枝を翌年まで温存すると、そこには翌年も必ず花が咲いてミカンが成る。その性質を利用した技術です。枝そのものを切ってしまうと翌年はミカンを成らすことができないため、枝を切らずにつぼみを摘むことで対応するのです。
このインタビューには出てきませんでしたが、実際には1本の枝に茂らせる葉の数なども調整しています。葉は光合成をして栄養分を生産する役割を担うために必要不可欠ですが、葉を育てすぎると養分が実ではなく葉を作るために使用されてしまいますし、日照不足の原因にもなるからです。
農作物の「価値」そのものを作る
農家にとっての技術は言語化されない身体知であるがゆえに、これまで社会から等閑視され続けてきました。確かに、事例として挙げた真穴みかんは産地として全国的にも有名であり、高級ミカンの代名詞です。需要低下と大衆化によってミカンの価格が下がってきているとは言え、相対的には価格転嫁がなされている商品です。しかし、評価の対象とされているのはミカンの美味しさや品質の高さだけ。ミカン農家に限らず、農家の持つ技術や技能に対して、社会的価値が伴っているわけではないのです。
だからこそ私は、1本5000円という常識はずれな高額レンコンを販売しつつ、そのような高品質なレンコンの背景にある農家の技術力にこそ価値があると、社会に対して見せ続けてきたのです。現代社会においては、価格が高いということが社会的な価値とイコールです。人々が憧れるような高いものを生産し、そして販売している事実の中にこそ価値が宿るものなのです。