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「価値があるから高価なのではなく、高価だから価値がある」日本の農業をよみがえらせる“常識外れのブランド戦略”とは

『「やりがい搾取」の農業論』より #2

2022/02/21
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一流の野菜の基準を訴え続ける

 前著(編集部注:『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』)を出版して以降、野口農園のレンコンがどれくらい美味しいのか食べてみたいと言われることが増えました。私は、野口農園のレンコンの味には絶対の自信があります。味に自信のない不味いレンコンを、ミシュラン星付きレストランに納品したり、海外の高級店に輸出したりできるはずがありません。敢えて表現すれば、野口農園のレンコンは春雪を思わせるような柔らかな歯ざわりを持ち、バーボンウイスキーを思わせる芳香を放ちます。サクッと嚙んだ時の甘みは、和三盆を思わせるような爽やかさです。

 しかし、野口農園は「美味しいレンコン」を作っているわけではないのです。味覚は必ずしも客観的な指標ではありません。何を美味しいと感じるかは、人によって異なります。私が作ろうとしているのは、「野口農園の作るレンコンこそが美味しいレンコンである」という、レンコン自体の価値なのです。野口農園の作るレンコンこそが美味しいレンコンの基準であり、一流の野菜の基準なのだということを社会に訴え続けているのです。

 その基準とは、これまで日本社会において等閑視されてきた、代々の農家が永い年月をかけて培ってきた農家としての高い技術と技能です。誰よりも卓越した技術を誇るのは、目利きとされる高級青果店やデパートのバイヤーではなく農家なのだという価値観を作り続けているのです。

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©iStock.com

 仮に、AIを用いた完全オートメーションの植物工場によって、栄養価も高く、甘みや渋みなどの味も安定した野菜が出来たとします。しかし私は、それを一流の野菜とは言いません。農家が愛情をこめて栽培した農産物こそが価値のある農産物なのだ、という価値を社会に訴え続けているからです。