民俗学者兼農家の野口憲一氏によると、日本の農家には高品質な農作物を生産する力を持つ人が数多くいるという。そして、その理由は文化的・歴史的な文脈に隠されているそうだ。一方で、高品質な農作物を生産していながら、経営難に陥る農家が日本では珍しくないという問題もある。
はたしてそうした歪みはなぜ起こるのか。ここでは、1本5000円のレンコンを販売し、農業のラグジュアリービジネス化に成功した野口氏の著書『「やりがい搾取」の農業論』(新潮社)の一部を抜粋。日本産の農産物の質が高い理由、そして、質の高い農産物をブランディングする秘訣について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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社会運動では社会は変わらない
農村をフィールドにした民俗学研究者としての私は、農業の問題を解決するために社会運動で対応することは難しいのではないか、という思いがありました。社会運動に打って出るよりも、新たな企画の商品を開発して、それを販売していくことの方が、社会を変えられるのではないか、と考えたのです。
私も、有機農業運動や農業思想が強調するような自然の尊さ、そして古くから伝わる農家の技術や技能の重要性は重々承知しているつもりです。菜の花や棚田の美しさ、そこで飛び交う赤とんぼのような、金にならないものに価値があることは言うまでもありません。大量生産を目指した効率化と産業化だけではまずいということは百も承知です。しかし、それを思想や運動として社会に問い続けていっても現代人の心には響かないし、社会は変えられないのです。
有機農業運動は、農業の抱える様々な問題を全く解決しなかったどころか、むしろより深刻にさせてしまいました。高邁な理想で始められた有機農業運動でしたが、やりがい搾取の構造に取り込まれ、農家を幸せにするどころか多くの農家を不幸に陥れてしまった。「いいや、私は充分に幸せだ」とお考えになる有機農業家の方も大勢いらっしゃるとは思いますが、本来、有機農業家は「もっと幸せ」で「もっと豊か」になってしかるべき、というのが私の考えです(編集部注:無農薬農法は理想やロマンが重視される一方で、さまざまな要因により、経済的な持続可能性の実現が困難な現状がある。結果的に農家の「やりがい」に依存して成り立っているという一面があることを筆者は書籍別章で詳述している)。
現代社会においては、換金可能なものに価値がある。だとしたら、社会を変えるのは運動ではなくビジネスではないか? そこで始めたのが1本5000円レンコンの販売、すなわち農業におけるラグジュアリービジネスでした。普通に考えれば、こんな高い値段のレンコンが社会に受け入れられるはずがない。そこで思い立ったのが「ブランド化」でした。