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――ロールモデルがない中で、自分で実験しないといけない。 

きんに君 そうですね。だから「成功した」感じがないのかもしれないです。こうやったらウケるというのも、ちょっとずつは勉強になってきましたけど。でもずっと安心しないのはそういうことかもしれません。 

 普通、高校卒業してお笑いを目指すとするなら、その高校卒業までの18年ぐらいの中で経験したこと、感じたことの中で、ネタができてくると思うんですよ。僕も今まで読んだ漫画やテレビの要素と筋肉を掛け合わせて、最初はやってました。

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 でも筋肉要素だけ17歳からじゃないですか。だからどこか自分の中で、本当はもっとできたんじゃないかという思いが勝手にあるのかもしれないです。 

 

――他の影響を受けたエンタメの要素と比べて、「筋肉」のキャリアが短い。筋肉を絡ませずストレートにお笑いをやっていたら……ということでしょうか。 

きんに君 学生時代にはミニコントばっかりやってたんですよ、友達と。本当はそれをプロとしてやりたかったんですけど、相方もいないし、それができない状態でスタートして。

「本当は自分はもっとお笑いができたのにな」なんて言ったら、実際できなかったのでアレですけど。そういう思いは心のどこかにあって、だからずっと満足してないのかもしれないですね。 

「未来のない笑い」なのでは、という葛藤

――“筋肉”という相方と突然コンビを組んだ、みたいなことですもんね。 

きんに君 はい。でも、これでテレビに出れたというのも事実で。まだNSC生の時にタンクトップ姿で全国ネットのテレビに出て、その後、baseよしもとっていう当時大阪にあった劇場に行ったら、もう「ギャー」ってなって。「あ、観た!」みたいな。もうそこから始まってしまっていたので。 

 ただ、続けていると、やっぱりこれは未来のない笑いなんじゃないかと思っちゃうんですよね。 

――未来のない笑い。 

きんに君 いつか飽きられて、消耗していくようなお笑い。でもそれをせざるを得ないキャラだったというのもあります。

 もしかしたら最初ウケなくても我慢して、ちゃんとネタを頑張っていけば別の未来があったのかもしれないです。でも僕は元々テレビに出たいという気持ちがあったので、消耗するけれどもこのキャラをやらざるを得ない、みたいなところがありました。 

 今思うと、厳しい時代ばかりでしたね。特に(レイザーラモン)HGさんが出てきてとか……。 

――レイザーラモンHGさんが出てきた時のブレイクっぷりは確かにすごかったです。独り勝ちだった筋肉芸人の土俵に、初めて別の筋肉が出てきた。 

きんに君 「これはヤバい」というので、あのタイミングでアメリカ行きを決意したのもあります。それで帰ってきて痩せて、仕事なくて。そういうときにYouTubeがたまたまあって、大会にも出はじめて……それは今に繋がっています。

 

「未来のない笑い」ってさっき言いましたけど、やり続けていけば何かあるというのも事実で。50歳でM-1チャンピオンになった錦鯉さんも、途中でやめなかったからこそですよね。

 お笑いって、15年ぐらいかかってようやく形になったりする例はいくらでもあるんですよ。やり続けないとわからないものなので、何事も挑戦するのはいいかな、と今は思います。 

写真=平松市聖/文藝春秋
撮影協力=ゴールドジム渋谷東京

2022/02/19 16:50……一部表現を修正しました。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。