サイババの団体、米軍、ヒンドゥー教徒……炊き出しなどの東京のホームレス支援は、貧困問題に取り組むNPO以外にも実に多様な団体が行っていた。カレーが旨いと評判のキリスト教団体の炊き出しでは、聖書クイズも出され、正解すると数千円の現金が支給されるため、聖書をもらって勉強する者までいるという。
支援は表立ったものばかりではない。深夜、どこからともなくハイエースが現れ、観光バスからの廃棄と思われる弁当が配られたり、ある公園にはなぜか一斗缶が並び、その中に食料などが置かれていたりもする。
こうした路上生活者の食料事情が記される本書は、フリーライターの國友公司が昨夏のオリンピックの開幕日から約2ヶ月、都内6ヶ所で行ったホームレス体験をまとめたものだ。
初日、道端で寝ようにも暑いうえに体が痛く、どうにか寝付いても朝5時には蝉の声などで目覚めてしまう。そうして始まった路上生活で知り合う人々を通じて、お湯の入手から年金にいたるまで様々な事情を取材するルポである。
同時に、読む者を困惑させる書籍でもある。それはどういうことか。
「2021年夏、オリンピック開催期間の東京の路上でホームレスと共に生活を見つめた記録(ドキュメント)」――この本の帯に載る宣伝文句だ。これを読むと、本書に政権批判を期待する者もいよう。華やかな五輪と貧困のコントラストが描かれていると。
しかしそれは裏切られる。ここにはホームレスの「いつもと変わらない生活」があるだけだ。もちろん平穏という意味ではない。
オリンピックがあろうとなかろうと色々な排除が常にあり、身の危険もあれば、なにより東京の夏はむごいほど暑い。そんな夏をビルの排気口からの冷気や、「夜はビルの水道より公園の水のほうが冷たい」との知見を得て、しのいでいく。
著者が寝床を並べた路上生活者の中には、配給物のありがた迷惑を語ったり、NPOの支援者たちの雰囲気が気に入らないと打ち明けたりする者もいる。炊き出しには行くが「税金で食うなんてダメだろ」などと生活保護への忌避を話す者も多い。
彼らの言葉を目にすると、戸惑う者もいるだろう。だが、誰しもに人それぞれの事情や言い分はある。「貧困」や「弱者」という言葉で人が抽象化されるとき、それらはそぎ落とされていくものだ。それを地べたから拾い集めたのが本書である。
「他者の靴を履く」とはブレイディみかこの著書のタイトルだ。彼女の子息がエンパシーについて、こう説明したことに由来する。シンパシーがかわいそうだと同情する気持ちであるのに対して、こちらは他者の感情や経験などを理解する能力を指す。
それでいえば、本書は「路上で他者の隣に寝る」ことによるエンパシーについてのルポであると言えようか。
くにともこうじ/1992年生まれ。ルポライター、編集者。栃木県那須温泉で育つ。筑波大学在学中よりライター活動を始める。2018年『ルポ西成 78日間ドヤ街生活』でデビュー。
あーばんしー/1973年生まれ。小学生の頃から週刊誌好き。現在、月刊誌「特選小説」に「愛人から覗き見た戦後史」を連載中。