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「子供が、全日本クラスを操っているんだぜ」
今は取り壊されてしまったが、日立の体育館には一箇所だけ、床が白っぽく変色した場所があった。中田が1人でトス練習を繰り返した場所だ。中田の大量の汗が、床を変色させてしまったのである。だが、床を変色させるほどの汗の量は正直だった。
チームの司令塔であるセッターが一人前になるためには、最低5年の練習が必要とされるが、中田は2年でその技術をマスターし、15歳で早くも全日本入りを果たしたのだ。
中田の才能に目をつけた山田も、これほど早く成長するのは予想外だったらしい。
別のコートで練習していた中田を指差し、白井貴子に嬉しそうに呟いたことがあった。
「おい、あの子を見てみろよ。まだ下の毛も生えていないような子供が、全日本クラスの選手を操っているんだぜ」
天才少女を手に入れた日立は、81年の日本リーグで、ほぼ全日本メンバーをそろえたユニチカを倒し王座に返り咲いた。山田は常々、セッターが一流でない限り一流のチームは作れないと語っていただけに、中田のトス捌きで100種類以上の攻撃パターンを手に入れ、連勝街道をひた走った。日立が王座に返り咲いたとき、山田はこう言ってほくそ笑んだ。
「今後8年間は、日立が負けることはないだろうね。困ったもんだねえ」