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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

「ママ、お願いだから来ないで」伝説の名伯楽が“少女バレー教室”で発掘した天才中学生

日の丸女子バレー #19

2022/02/19
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「子供が、全日本クラスを操っているんだぜ」

 今は取り壊されてしまったが、日立の体育館には一箇所だけ、床が白っぽく変色した場所があった。中田が1人でトス練習を繰り返した場所だ。中田の大量の汗が、床を変色させてしまったのである。だが、床を変色させるほどの汗の量は正直だった。

 チームの司令塔であるセッターが一人前になるためには、最低5年の練習が必要とされるが、中田は2年でその技術をマスターし、15歳で早くも全日本入りを果たしたのだ。

 中田の才能に目をつけた山田も、これほど早く成長するのは予想外だったらしい。

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天才セッター・中田久美を生んだバレー教室を創設した山田重雄 ©文藝春秋

 別のコートで練習していた中田を指差し、白井貴子に嬉しそうに呟いたことがあった。

「おい、あの子を見てみろよ。まだ下の毛も生えていないような子供が、全日本クラスの選手を操っているんだぜ」

 天才少女を手に入れた日立は、81年の日本リーグで、ほぼ全日本メンバーをそろえたユニチカを倒し王座に返り咲いた。山田は常々、セッターが一流でない限り一流のチームは作れないと語っていただけに、中田のトス捌きで100種類以上の攻撃パターンを手に入れ、連勝街道をひた走った。日立が王座に返り咲いたとき、山田はこう言ってほくそ笑んだ。

「今後8年間は、日立が負けることはないだろうね。困ったもんだねえ」