「殴ってやろうかと思いましたもん」
中田が唇を嚙み思い起こす。
「試合が終わった後、あの審判を殴ってやろうかと思いましたもん。でも、もとを正せば自分が悪かったんです。12−9になった時点で金メダルがちらつき、ひそかに『やったー!』って思っちゃったんです。これだけ差をつけていて逆転されるなんて考えもしないじゃないですか。でも『え? え? え?』みたいな判定が続き、13−12に追い上げられた場面で、由美さんにトスを託し続けた。由美さんがホールディングを取られているのに、また由美さんに上げる私もどうかしている。だから私は天才でもなんでもなく、ただの凡人なんです」
銅メダルを賭けた対戦は中国だった。だがペルー戦で気落ちした日本は、中国戦を想定した練習を散々こなしてきたにもかかわらず、1セットも奪えないまま完敗した。
64年の東京五輪からメダルが当たり前といわれてきた日本女子バレーが、五輪で初めてメダルなしに終わる。
ソウル五輪でセンターとして活躍し、現在は学習院大学教授の廣紀江は、屈辱のソウル五輪のビデオをしばらく見ることが出来なかった。
だが数年前、学生たちの教材に使おうと久しぶりに目にし、慄然とした。
「久美の身体は、ひどくボロボロでした。私たちは自分のことに精一杯で、久美がどんなに身体が辛かったか、気づいてあげられなかった。いつも痛み止めを飲んでいたのは知っていたけど、彼女は痛いなんて一言も言わないし、プレイには問題ないと思っていたんです。でもビデオを見たら、足が折り曲げられないほどに腫れていました。それでも正確なトスを上げ続けていたんだと考えたら、背筋がゾクッとしました」
しかし足の痛みは、中田にはいい訳にはならない。メダルを獲れなかったという事実だけが残った。ソウル五輪後に引退を決めていたものの、日立の主将だったこともあり、そのシーズンのリーグだけはコートに立つことにした。結果、チームは最悪の4位。常勝日立が転落したのだ。
自分の無能さを突きつけられるには、これ以上ない結果だった。