臨時列車は、東京の通勤ラッシュ時のような超満員状態
――ロシア軍による都市部への攻撃が続き、ウクライナでは2000人以上の死者がでていると報じられています。セーニャさんのお母さんや、お姉さんはどうやってキエフを脱出したのですか?
「3月1日、急遽避難用の臨時列車が出ることを知り、母たちは脱出を決意したそうです。母と姉はリュックを1つだけもち、自宅から駅まで走りました。途中銃声を聞いたり、駅の線路下に潜むロシア兵を見かけたそうです。列車は女性や子ども、老人しか乗れないのですが、東京の通勤ラッシュ時のような超満員状態で、何とか母も姉も乗れたそうです。
母たちが脱出した翌日には、キエフ駅近くにも爆弾が落とされています。この爆撃で姉がつかっていたシェルターが破壊されたそうです。姉は爆弾が投下された場所付近のシェルターに前日までいました。
母たちが乗った列車は元々西部のカルパティア山脈方面行きのはずだったのですが、途中で行き先がかわったそうです。何度も途中で停車し、ベラルーシとの国境近くを通るときは皆無言だったといいます。リビブ駅では場内アナウンスで乗り換えを指示され、ようやく列車はポーランド国境付近の駅に到着しました。キエフを出発してから36時間かかったそうです。
ポーランドではたくさんの支援を受けました。カートいっぱいの物資を受けとり、母と姉は、今はアパートのような個室に滞在させてもらっています」
チェルノブイリの事故の怖さはウクライナ人皆が知っている
――3月4日、ロシア軍は南部のサポロジエ原発を攻撃しました。
「本当に、何を考えているんでしょうか。チェルノブイリの事故の怖さをウクライナ人は小さい頃から教わり、ミュージアムにも皆一度は必ず訪れています。だからこそ放射能の恐怖は皆よくわかっている。
私が東北にボランティアにいったときや、広島でガイドをした際にも、よくチェルノブイリの話題がでてきました。それくらい、チェルノブイリの事故はウクライナ人にとっては忘れられない出来事です。万が一の事が起きたら、ウクライナだけでなくヨーロッパが地獄になる。それだけは絶対にしてはいけない」