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 ただ、そうは言ってもいざその状況になると、親の介護を公にするのはどうかなって一瞬躊躇して。当時は、今以上に介護の話を発信する人も少なかったですし。

 でも自問自答してみたんです。「親が要介護者になったことは恥ずかしいのか?」と自分に聞くと、「全然恥ずかしいことではない。親が歳をとるのは当たり前だ」と。「歳を取ったことによって、人の手を必要とすることは恥ずかしくない」。それなら書こう、書きます!ってね。

「いつまで介護が続くんだろう」と思ったときも

――決心がついたんですね。

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新田 そうです。それに、言いふらす相手は、友達でもいいし、隣のおばちゃんでもいいし、SNSでもいい。とにかく一人に告白しちゃえば、あとは結構ラクにお話しできると思うんです。始めは吐き出す勇気がいるかもしれないけど、吐き出さない方が苦しいから。吐き出す快感って言うんでしょうか(笑)。それに自分が言わないと、相手から聞いてもらえませんからね。それも伝えたくて。

 

――喜びでも愚痴でもなんでも。

新田 もちろん、私だっていつまで介護が続くんだろうって思ったときもありましたよ。親子喧嘩した日はイライラするし、玉ねぎのみじん切りの音が大きくなったりしてね(笑)。

 夫には、日々の些細なできごとも話していましたが、彼もはじめはアドバイスしようとしてくれたんです。でも、そういうのはいらない(笑)。ただ、聞いてくれるだけでいいてって。

自分が後悔しないための介護

――男女あるあるでもあるような(笑)。とはいえ、親の介護となると、すぐに受け入れられましたか?

新田 いえいえ、特に最初の2年くらいは苦しかったですね。なんでこんなことも出来なくなっちゃったのって。できないものはできないんだけど、気持ちが追い付かない。それどころか、逆にどんどん衰えていくし。でも、毎日毎日顔を合わせていますからね。だんだん気持ちも変わっていくんですよ。

 

――それは、自然と変わっていかれたんでしょうか。

新田 3、4年経った頃ですかね。なんていうかな、日常になっちゃうんですよ。たとえば、ファミレスで子どもが「ワァー!!」って騒いでるのを見て、「あれが毎日か…」って考えたら大変そうじゃないですか。でも、そのお父さんお母さんは、大変は大変だけどそういうものだって受け入れているというか。

 それに、今日のような取材もそうです。自分の気持ちを人に話していると、自分が発した言葉にハッとすることもあります。介護をはじめて2年くらいは「母のための介護」だと思っていましたが、3年目、4年目あたりから、「自分が後悔しないための介護」って言った時に、自分で驚きましたね。そうなってくると、気持ちも楽になるし穏やかになる。こっちの気持ちが変われば向こうも変わってきますから。