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ウエディングドレスで見送って

――ところで、お母様が元気なうちから「最期」についてお話をされていらっしゃったんですよね。 

新田 たまたま母と二人でテレビを観ていたら、「死に装束」について放送していたんです。

「ママ、最期はこれ着るの(笑)?」と聞くと、「いやよ、こんなの」「じゃあ、何着るの? 気に入ったお着物とか掛ける?」って聞いて。すると、母が少し考えて「ウエディングドレス」って言ったんです。

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 あぁそうか。昭和3年生まれの人は、ウエディングドレスを着る機会もほぼなかったのかもしれない。そのときは「分かった」と聞き流して、夜のお姉さんとか着るようなドレスを買えばいいかなって漠然と思っていたんです。でも、いざ母が弱ってきてリアルに考えてみたら、死後硬直がある。普通のドレスはダメだって気づきました。そこで、色々調べていくうちに、世の中には「エンディングドレス」というものがあると知ったんです。写真を見て、これなら私も作れそう、と。昔からハンドメイドとか好きだったので、やってみようと思いました。

 

――お母様の最期に、ドレスを作ることになったんですね。

新田 ただ、そうは言ってもなかなかね…。それでもやっと作り始めたころには、さらに母が衰えていました。「もう、このドレスを仕上げたら死んじゃう…!」そんな風に思っちゃったので、ある程度のところで止めました。

たった一つの後悔

 その後、母が亡くなって、泣きながらミシンを踏んで仕上げました。そして母にドレスを着せて。訪問看護師さんや葬儀会社の方が見てくださって「本当に綺麗だ」「素敵だ」っておっしゃってくださいました。私自身、すごく綺麗な母を見送れたのが嬉しかった。

 

 そうして母が亡くなって、少し落ち着いて色々なことを考えられるようになった頃、改めて、最期まで母は母らしくいられたと思えたんですね。自分の要望だったドレスを着て、そして送り出されて――。

 私は介護に関して悔いはないんです。ただ看取りの部分でたった一つの後悔があって。それは、母に、母が着たドレスを見せてあげられなかったこと。

――ただ、早く作ってしまったら、そのときはお気持ちも辛かったのでは?

新田 でも、きっと母は笑いながら、「恵利ちゃん綺麗だね、上手に出来たね」って。「じゃあ、お母さんこれ着るのね」。そういう風に言ってくれる母だってわかってるので。もしかしたらやり直しが入ったかもしれないけど(笑)。