ひたすら撮影を続けた1年間は、地元の人たちとのつながりを深めていく時間にもなった。
「撮っている写真を見せても、『なんや、こんな何でもないものばかり撮って』と言われるばかりでした。でも、これが私のすごくやりたいことなんだ、ということだけは伝わったみたい。『よう意味はわからんが、協力してやる』と、皆さんあれこれ助け舟を出してくれました」
雪のもたらす時間の姿
聞くだに不思議だ。住み込みで皿洗いをしたり、地元民の白い目に晒されたりと、いまどきなかなか味わえないような苦労を重ねてまで、なぜ彼の地の写真を撮り続けたのか。
「身にかかる苦労なんて気にならないほど、この地の雪の光景にまず圧倒されてしまったんですね。多湿で昼間溶け夜に氷結することを繰り返す雪はダイナミックにうねる造形となります。それって、時間の有り様そのものなんです。それを見つめていると、自分もその時間の渦に否応なく巻き込まれていったんです。
通年で滞在すると、この地には一年中雪が存在していることが見えてきます。雪は、水や大気に姿を変えただけで、雪としてありとあらゆるものに影響し、その時間を律しているんです。この地が多雪になったのは8000年前と言われています。森林の木の形や大地の形状は、雪が造り上げてきたものです。積雪のダイナミックな造形が時間の姿であるように、それらも雪のもたらす時間の姿なんです。
写真集が雪景色だけではないのは、そういう理由からです。
撮り手の気迫と彼の地ならではの生の躍動
ひとたび気づけば、地形や植生、そして人の暮らしのあらゆる細部までが、雪の存在を前提にできているのが見えてきます。どこにいても何をしていても、雪の存在感が圧倒的なんです。そのことが私にはすごくおもしろくて、作品としてまとまるまで絶対に撮影を続けると心に決めました」
そうして生まれた一冊の写真集は、単なる自然礼賛でもなければ地域の生活誌でもない。一見なんとも名指しづらい仕上がりとなっているが、撮り手の気迫と彼の地ならではの生の躍動と全カットに共通する気配がたしかに伝わってくる。