夜勤だけでは十分な稼ぎにならず……
見知らぬ人でも、男性がそばにいるだけで恐怖感が襲ってくる。
「電車に乗っていて、男性が横に座るだけでも無理でした」
移動には、極力自転車を使った。自転車で1時間ぐらいの距離なら自転車に乗った。電車に乗らざるをえない場合には、人の多い時間帯は避けるようにした。
「私ひとりのときには必ず立ちました。ベビーカーがあるときには車両の隅に行き、ベビーカーを自分の前に置いて人と距離をとるようにしていました」
若くして子どもを産んだ陽菜さんには就職の経験がなかったが、4人の子どもたちのために働く必要があった。元夫は父への借金返済で手いっぱいで、養育費を見込めなかったからだ。
高校時代の先輩に、「仕事をしたいんだけど、男の人がいる職場は無理やねん」と相談すると、「ウチの職場は女の人ばかりやで。シフトを組む社員は男性だけれど、事務所に入っていてほとんど関わることがないから、ウチにおいで」と誘ってくれた。コンビニチェーンの製造工場だった。夜勤でトッピングの仕事をすることになった。
「上司は男性でしたけれども、年配で枯れた感じのやさしい人だったので、何年もかけて少しずつ慣れていきました」
夜勤だけでは十分な稼ぎにならなかったので、日勤で女性が多そうな仕事を探した。見つけたのは理系大学の学生食堂だった。
「男子学生が多くて怖いので、奥の洗い場の仕事をさせてもらいました」
上司や調理師にも男性がいたが接点が少なく、穏やかな人ばかりだったこともあり、しだいに挨拶なども少しずつできるようになっていった。こうして、陽菜さんは7年間、掛け持ちで働き、4人の子どもを育てた。
その後、長男が中学に進学すると、部活や弁当づくりの関係から夜勤の勤務先が遠いことがネックになった。そこで、2つの仕事を辞めて、近所にある会社に転職する。弁当の製造と配送の仕事で、初めて正社員になった。
「朝4時から17時という勤務条件だったのですが、社員が準備や片付けをするのが暗黙の了解になっていて、実質朝3時から18時までの長時間勤務でした」
陽菜さんはかなりの頑張り屋だ。
「自分で言うのも何ですけれども、けっこう完璧主義なんです。だから、子どもに対してできひんことは絶対ないようにしようと思っていました」
これだけの長時間勤務のなかでも、一緒に食事づくりをしたり、ボール遊びをしたり、幼稚園でも積極的に係を務めたり、小学校の保護者会にも参加したりするなど、母親の役割をおろそかにすることはなかった。
そのスーパーマザーぶりに驚いたが、聞けば睡眠時間は2時間だったという。
「子どものためにやらんとあかんという気持ちしかなくて、それが支えになりました」