配偶者や恋人などから身体的・精神的暴力を受ける「DV」は大きな社会的課題として、さまざまなかたちでの研究が進んでいる。しかし、子どもの目前で配偶者に行われる暴力が「面前DV」と呼ばれ、心理的虐待にあたる問題であることはDVに比べて未だ認知度が低い。

 自身もDV家庭に育ち、面前DVを受けていたノンフィクションライターの林美保子氏は、DVが関連するさまざまな問題に迫った『DV後遺症に苦しむ母と子どもたち』(さくら舎)を執筆。ここでは、同書の一部を抜粋し、父から母への暴力、そしてその様子を目前で見ていたことによる後遺症に苦しんだ細谷深雪さん(30代・仮名/面前DV生活20年、その後6年)の体験談を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

※写真はイメージ ©iStock.com

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人もうらやむ家庭の裏はDVの修羅場

 深雪さんは、裕福な家庭で育った。父は一流企業に勤務する高給取りで、「気さくにジョークも飛ばすような素敵な男性」と、周囲からは見られていた。立派な家に住み、高級家具に囲まれ、高級車に乗り、家族全員いつも上質な服を着ている。深雪さんはそのような恵まれた環境にいた。年子だった弟とも仲がよく、たくさんのおもちゃに囲まれて一緒に遊んでいた。

 そんな人もうらやむような家庭が地獄と化したのは、深雪さんが小学生のときだった。ある日を境に突然、父が大声を出して怒鳴り、いちばん傷つく言葉を選んで母の人格を否定し、物を投げつけ、家中に酒をまき散らし、家具を倒して、暴力を振るうようなDV家庭に転じてしまったのだ。何が父の動機になったのか、深雪さんにはわからない。

 きっかけは、実にたわいもないことだった。ある日、いつもは夜遅くならないと帰らない父が夕食時に帰ってきた。

「おいしそうなチャーハンだ。とうさんもチャーハンが食べたい!」

「あなたはチャーハンじゃないよ」

 父はチャーハンがいいと何度も言ったが、母は頑なに拒否して、早くお風呂に入るようにうながす。

 すると、父がそのとき飲んでいた緑茶の湯飲みをテーブルに叩きつけた。

「なんで、チャーハンにしねぇんだ!」と怒鳴ると、母に平手打ちを食らわせた。子どもたちのチャーハンの皿をひっくり返し、テーブルにあったほかの食器やコップも全部叩き落としてしまった。子どもたちは泣き叫び、それを見て父が怒鳴り、母は言い返すというような修羅場になった。

 手の指から血が出ていることに気づいた父が、深雪さんに包帯を巻くように命じたが、恐怖で手が震えてうまくできない。そんな深雪さんに向かって、「もっと強く巻け!」「痛いじゃないか!」「へたくそ!」などと父は怒鳴りつづけた。

「たぶんこのときのことが原因だと思うのですが、いまでも血が怖いです。テレビの流血シーンを見ると吐きそうになるし、自分の血を見て倒れたこともあります」

 じつはこの日、母は父の大好物である「かにめし」という弁当を買っていた。父が風呂から上がり、ビールを飲むタイミングで、「ジャーン! 今夜はかにめしだよ」というサプライズをするつもりだった。しかし、父が子どもの食事をひっくり返したことで腹を立て、弁当のことを言う機会を失していた。

 それでも母は、部屋の片づけをした後、風呂上がりの父にかにめしを渡した。しかし、父は反射的に弁当を床に叩き落とし、「こんなもの、いらねぇよ!」と怒鳴るのだった。

 これが、DVの始まりだった。

 父が暴れるのは、最初は3ヵ月に一度くらいだったのが、しだいに増えて2週間おきになり、いちばんひどいときには毎日にも及んだ。深雪さんが小学生の頃には母も応戦していたので、まだ夫婦喧嘩のたぐいだったが、中学生になった頃にはもう、母が太刀打ちできないほどの一方的なDVに発展した。深雪さんはそんな生活を20年も送ってきたのだった。