昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/03/17

「もちろん、これで母は死ぬと思いましたよ。でも、手加減はしているのでしょうね。ゴルフクラブに限らず、いつも母がぶたれていたのは主に下半身で、太ももや腹など肌が露出しない部分です。顔や二の腕や脛は、外を歩くときに見えてしまうので、意図的に外していました。そういう男です」

「おまえたちが帰ってこないなら、弟を殺すぞ」

 大学1年のとき、再び事件が起きた。父がいつものように酒を飲んでいたとき、母の何気ない一言にキレた。

 テーブルの上の食器や食べ物などをことごとく払い落とすと、窓際に置かれてあった小物類を次々に投げつけて壊したり、母の体にぶつけたりした。そして酒をラッパ飲みしたかと思うと、プロレスラーのパフォーマンスのように口から酒を吹き出したり、ボトルに残った酒を床に撒いたりした。

 その日は、テーブルの上に包丁があった。父は自分が払い落とした物の中に包丁があることに気づくと手に取った。そして、笑いながら母の喉元ギリギリに包丁を向け、再び弟に呼びかけた。

「おい、おまえは情けないやつだな。男のくせにかあさんがこうされても、だんまりか? 俺は父親が酒に酔って、母親をボコボコにしているときには、『やめろ!』と、果敢に飛びかかっていったものだ。おまえはかあさんが死んでもだんまりか?」

 深雪さんも弟も、父をにらみつけたまま、何も言わなかった。何か言えば、逆上して、母を殺しかねないと思ったからだ。

 どのように幕を閉じたのか、深雪さんは衝撃が大きすぎて覚えていない。この日を境に、弟は心を閉ざしてしまった。

 そのほかにも、ノコギリ、植木鉢、鏡、有田焼の大皿、優勝トロフィー、テレビが宙を舞うこともあった。胡椒の瓶を投げつけられて全員でむせ返って苦しんだこともある。家にアルコールを撒き、ライターを出して、「火をつけるぞ」と父が凄んだこともある。

 深雪さんは、そんなハードな暴力家庭で心の傷を深めていったのだった。

 深雪さんは大学卒業後、地元の会社に就職した。その頃、父が定年になった。仕事のストレスがなくなったのか、すっかり落ち着き、暴力のない日が続いた。

 ところが、職場のほうでは心配事が起こっていた。会社が入っている建物が特殊な事情を抱えており、一部の住民団体が明け渡しを求めて業務中に怒鳴り込んでくるようになったのだ。

 中高年の男性が3~4人やってきて、怒鳴り散らしながら、机や棚のものを払い落としたりする。彼らが出ていくと、その後、片付けは新人社員である深雪さんの仕事になった。“怖い目に遭った後の片付け”が心の傷に沁みた。静かな空間で片付けをしていると、頭の中で、父の怒鳴り声が聞こえてくる。DVの光景がフラッシュバックして、手が震えた。耳をふさいで、「わああああ!」と、気がつけば叫び声をあげていた。

 そんなとき、父がちょっとしたことで、また暴れた。2年半ぶりの父の暴力は、深雪さんに大きなショックを与えた。職場でも家庭でも暴言に苛まれ、深雪さんは心が折れてしまう。

z