当時はまだ、深雪さんには希望があった。
「父のDVが始まるまでは普通の家庭だったので、子どもながらに、『いつかまた元の平和な家庭に戻れる』と信じていました。だから、だれにもバレないようにしたかったのです」
ゴルフクラブで母を殴打する父
しかし、父の暴力は激しくなるばかりだった。中学校2年になると、DVの激しさは最高潮に達する。父は営業職という仕事柄、接待で飲み歩くことが多く、べろべろで帰ってくることが多かった。しかも、着替えもせずにスーツ姿のまま、焼酎の水割りをつくって飲みつづける。
「そうなると、素面のときの何倍もキレやすくなります」
ちょっとでも気に入らないことがあれば怒鳴り、酒を床にばら撒まく。空になると酒瓶を床に叩きつけた。母への暴力は、最初は引っぱたく程度だったのが、この頃には拳で殴ったり、本や置物などの道具を使って殴打したりするようになっていた。
ある日曜日の昼のことだった。朝から酒を飲んでいた父が些細なことで母と揉めはじめ、暴力を振るった。
すると突然、父がゴルフのドライバーを持ってきて、毛糸のヘッドカバーを外したかと思うと、すでに暴力を受けて痛がっている母に向かって両手でゴルフクラブを振り上げた。
「やめて! もうやめて!」
深雪さんは泣き叫んだが、間に合わなかった。ドライバーは母の太ももあたりを直撃した。
「いやぁあああ!」
母は苦痛の声をあげる。
父は興奮して、さらに今度はスイングをするように横から打った。今度は深雪さんも母もあきらめたように声を発することをやめた。
すると、父が弟に向かって、「おまえはかあさんがボコボコにやられているのにだんまりか? 男のくせに情けない。俺は、自分の父親が家で暴れているときには食らいついていったぞ。甘ったれ!」と吐き捨てた。父もまた、面前DVの被害者だったのだ。
3人が押し黙り、震えているのを見て、父はニヤリと笑った。
「よし、終わり。今日はもういいや。片付けとけよ、アホども」
父は愛おしそうにドライバーヘッドを撫でて、指で母の血を拭った。
なるべく病院には行かないようにしていた母も、このときばかりは行かないわけにはいかなかった。
「交通事故にあったのかい? それくらいの衝撃が加わらないと、こんな傷にはならないよ」と医者には言われたが、母は、「階段から落ちた」で通した。
「じつはあまりの恐怖に、このときの記憶はかなり薄いです。本当に消したい記憶だったらしく、子どもを産むまでまったく忘れていました」と、深雪さんは語る。その後、弟と当時の様子を照らし合わせながら記憶を手繰り寄せたという。
「大人になってから知り合った虐待被害者や面前DV被害者たちに話を聞くと、ゴルフクラブは意外と定番の道具だったようです」
ゴルフクラブは殺人の凶器にもなる。そんな危険な道具がDVの現場で使われているという話に、私は驚いた。