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――やっぱり笑いには厳しかったんですか?

赤塚 そうですね。理屈っぽかったりするのが嫌いなんですよね。難しいこと言って、理屈っぽかったりすると、「つまんねーなー」って。一緒に遊んであげないとつまんなそうにしていて、とにかく寂しがり屋なんですよ(笑)。

フジオ・プロを継ぐ

――赤塚不二夫先生の娘という肩書で苦労されたこともあったのでしょうか。

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赤塚 苦労したことよりも、私が赤塚不二夫の娘ということで、皆さんにとても優しくしていただいているなというのは感じています。

 私は赤塚不二夫じゃないし、私が作品を描いたわけでもないんですけど、「握手して下さい」っていうファンの方がいらっしゃって。握手はしますけど、「赤塚不二夫じゃなくてごめんなさい」という感じになりますよね。でも途中から「あ、このファンの方は私の中に赤塚不二夫を見ているんだな」って感じて。それはむしろ私にしかできない役目なのかなって思いましたね。

60歳頃の赤塚不二夫(撮影:新潟日報社)

――父親がすごい漫画家だと認識したのはいつでしょうか。

赤塚 やっぱり自分の父親なので、小さい時から漫画家・赤塚不二夫というふうに見ていなかったんですよね。それが2006年にフジオ・プロを継ぐことになって、漫画家・赤塚不二夫としっかりと向き合うようになりました。いろんな方の話だったり、作品やものすごい量の原稿を見て、それで徐々にすごい漫画家だとわかってきて。

 やっぱり一番ズシンときたのは父の葬儀ですね。漫画家仲間やファンの方が1500人くらい参列してくださって、「パパってこんなにたくさんの人に愛されていたんだ」というのを感じました。それと同時に責任感もすごい感じましたね。「これからもパパの作品を守っていかなきゃ」と。

自分の作品ににじむ父の影響

――りえ子さんはフジオ・プロの社長でありながら、現代芸術家としても活動されていますよね。

赤塚 そうですね。現在もイギリスのギャラリーに所属していますし、自分でも作品を作っています。最近、「ニューアカツカ」という作品名のネオンを作りました。

赤塚りえ子さんの作品「ニューアカツカ」 フジオ・プロダクション提供

――やはり赤塚先生の影響も大きいのでしょうか。

赤塚 最近、結構光を使う作品が多いんですけど、心の奥を辿っていくと、やっぱり父とは何かしら関わっていますね。小さい頃、いつも父がいなかった寂しさにいつも光だったり、ネオンが灯っていたり。

 あとは、私の作品を見た方から「どんな作品を作ってもどこかしら必ずクスッと笑える要素が入ってるよね」って言われたんですよね。全然意識していないんですけど(笑)。私は何か壊したい衝動に駆られるんですよね、常識を壊したいというか。やっぱりそういう方向に向くのは父の影響なのかなっていうのはあります。