「赤塚先生は消しゴムをかけない」
――1本の漫画を仕上げるのにどれくらいの時間をかけていたんですか。
赤塚 『天才バカボン』をずっと担当していた編集者の方に聞いたんですけど、大体約13ページの漫画を描くのに、アイデア会議の段階からあわせて13時間で仕上げていたそうです。
アイデア会議で出たアイデアを父が用紙にネーム(コマ割りやセリフ、キャラクター配置などを大まかに描いた漫画の設計図)を入れていくんですけど、それが天才的に早かったみたいです。30分くらいで仕上げていたと当時の編集者の方や母も皆さんそう話していましたね。
――アイデア会議の時点でもう頭の中ですべてが出来上がっていたんですね。
赤塚 そうですね。普通、ネームを描いては消しゴムで消したりして調整していくんですけど、「赤塚先生は消しゴムをかけないんだよ。頭の中で最後までできてるから」って編集者の方がおっしゃっていました。父のそんなところを一度は見てみたかったですね。
540作品、6万枚の原稿を遺した
――赤塚先生は生涯どれくらいの原稿を遺したのでしょうか。
赤塚 約540作品、6万枚の原稿を遺しています。6万枚ってすごいですよね。私は小さい時、父がずっと新宿で遊んでいたと思っていたので、本当にごめんねって言いたいですよね(笑)。
――りえ子さんが物心ついた頃からもうすでに赤塚先生は忙しく、一緒に過ごす時間は少なかったのでしょうか。
赤塚 父は毎日家にいなくて、たまに帰ってくるぐらいでしたね。当時の記憶は曖昧ですけど、家族3人で家でご飯を食べているっていう記憶はないです。ある時、父が家から仕事場へ行く時に私が「今度はいつ来るのー?」と言って、母親が「やめなさい! 愛人みたいじゃない!」みたいなことはありましたね(笑)
ダッチワイフで子供が遊ぶ家…?
――当時はその環境が普通だと思っていたわけですよね。
赤塚 そうですね。初めからそういう家でしたし、比べるものがなかったので。最近、とりいかずよし先生(代表作「トイレット博士」)の奥様とお話をする機会があったんです。「しばらくー!りえちゃんが小さい頃、よく家に遊びに行ってたのよ」ってお話してくださって。
「1階の一番奥の部屋にね、たぶん赤塚先生が買ってきたんだろうけど、ダッチワイフがあって、それが無造作に置いてあって、そのダッチワイフにりえちゃんはジャンプしたり、叩いたりして遊んでたんだよ」って言われて(笑)。それは初めて聞いたので、衝撃でした。「りえちゃんのお母さんは、その光景を微笑ましい顔で見てたよ」って。どういう家なんだって思いますよね(笑)。