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「もし怪獣がいるなら、発見されなくてはならない」ネッシー探検隊総隊長・石原慎太郎が“怪獣探し”で見た人間の本質

『石原慎太郎と日本の青春』より #2

2022/03/24

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能,

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首を剥製にしたい

 滞英中、ロスチャイルドが、イギリス人はここらで意識改造しないと、さらに世界に遅れていく恐れがあるといったようなことを言っていたが、イギリス人への忠告として、日本及び日本人に対して、いたずらな経済的被害感と、日本人を含む有色人種への差別意識をまず自ら捨てるべきだろう。

 だいたい、先に天皇が訪英された際、いまさら日本の戦争責任を云々するような言辞がイギリス社会の上下にあったが、これとて滑稽な話である。

 日本の元首に向かってそれを言い得る人間たちは、日本が植民地とし、戦場とした地域国家の人々だけであって、あの戦争は、日本とイギリスを含めて、植民地の上に成り立った先進工業国家同士が、それぞれ同質の国家的エゴで始めたもので、歴史的にはイギリス国民も、その元首も、日本人及び日本の元首と同じ責任があるはずだ。

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 ただ彼らにすれば、白人国家にのみ限られていた植民地保有による近代化を、唯一日本人という有色人種が行なったところに限りない不本意さがあったろうし、それが加わった枢軸を相手に大戦争が起こり、幸い彼らが勝ったおかげで、責任の一方的転嫁ができただけのことではないか。

 もしイギリスの女王が中国を訪問した際、現在の中国人がかつての阿片戦争の責任を咎めたら、イギリス人は何と言うのだろう。日本人がイギリスにまで行って競馬馬を仕入れ、オークションを競り落とし、ゴルフ場まで買い取ったりするのは、金の使い方の趣味として問題はあろうが、開かれた経済社会同士の正当な取り引きに、被害感だの、果ては恐怖を感じたりするのはひとり勝手というか、井の中の蛙としか言うよりない。

 日本の経済には、まことに不公平な構造の歪みがあるのだが、それでもなお日本の大衆は、いじらしいほどこの経済にアイデンティティを抱いているのだが、その限りで、その財力で日本人が何を買おうが勝手であり、同じようにイギリス人が日本品を選ぶのも彼らの自由ではないか。

©文藝春秋

 その点、別に日米安保条約の側面的効果ではあるまいが、ヨーロッパから見れば、寄せ集めで成り上がりのアメリカ人は、怪獣問題に関しても、考え方感じ方で、日本人と共通したものを多く持っていた、というより、逆にこっちのほうが啓発されることさえあった。