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「もし怪獣がいるなら、発見されなくてはならない」ネッシー探検隊総隊長・石原慎太郎が“怪獣探し”で見た人間の本質

『石原慎太郎と日本の青春』より #2

2022/03/24

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能,

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 ネス湖の現場には、「プラウダ」の申し込みを含めて、かわるがわる各国のジャーナリストがやってきたが、中でもアメリカの記者の数が目立った。

 そして、彼らのだれしもが、怪獣を見つけたら、当然捕えるか殺して陸へ引き上げるべきであると言い、そのこと自体を問題にする一部のイギリスのジャーナリズムを嘲笑い、ある者は、捕えて殺した怪獣の首を剥製にし、屋敷のロビーに飾るべく、値を厭わず買い取りたいという南部の大金持の申し込みを取り次いでもきた。

©文藝春秋

 イギリスのプレスが1番せんさくし、探索の目的を歪めて臆測する原因ともなったスポンサーの問題にしても、康君が現地で20万ポンドの費用と言ったのは、いささかブラフがあるが、プロモーターとしてのいわば手の内の秘密であり、センセーショナリズムが何よりもの商品であるという現代社会の先端的公理を、アメリカの記者は容易に理解していた。

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 もっともイギリスのプレスにへつらって、スノビッシュな非難をした日本の新聞記事のせいで、当初予定していたスポンサーがおりてしまい、資金的にはだいぶ番狂わせになった。それがなければ、隊員の引き揚げたあとも、地元の期待する無人観測装置を寄付して設置することができたはずだったのだが。

 英語がスコットランドではよく通ぜず、またチャーターした船のマストに、日本の国旗に次いで、英国国旗をとばしてスコットランドの旗をあげろと地元の人間たちが強く要請するように、日本の東北人と沖縄人の違いどころでなく、スコットランド人は精神的にはイングランドから完全に独立している。

 当然マンチェスター・ガーディアンが何と書こうと、探検隊に対する現地の雰囲気は、日本の新聞を通じて感じ取るとのはまったく違ったものだった。早い話、相手が地元の人間なら、どうもロンドンの新聞には誤解され悪口を書かれたが、というだけで、彼らと私たち異邦人との間に、怪物を媒体とする親近感がより濃いものとなった。

冒険の虚構に挑戦

 昨年のエープリル・フールで、トドの死体をほうり込んで怪獣発見と知らせたというどこかの大学の研究員たちのジョークは日本では高く評価されているようだが、地元ではそうは受け取られず、不真面目だということらしい。一説には、本物のトドではなしに、何かの人形だとも言う。

 それにくらべれば、どうも現地の連中と同じように、あるいはそれ以上にか、怪物の存在を信じ、黙々として連日水中にもぐる日本人隊員は真面目で好ましく、頼もしくも映っているようだった。

 彼らの噂を横で聞いていると、別に私を振り返って激励こそしないが、ただ、日本人がきょうもどこそこの水域で真剣な作業をしていたというふうな会話が多かった。ましてや日本隊に国際隊員として参加した、最近エープリル・フールのジョークにちゃかされたりしてとみに影の薄くなってきていたネッシー信者の協会員にしてみれば、なおさらだろう。

 いままでで初めて長期にわたって船を雇い、潜水ボンベ用のコンプレッサーまで買って据え付け、寒気に備え南極北極の氷原下の潜水に使う二重のぶ厚いウエットスーツを、日本人としても初めて、現地でも初めて着用して行なう潜水を、彼らが期待の目で見守るのは当然だろう。まして、潜水艇においてをやである。