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「もし怪獣がいるなら、発見されなくてはならない」ネッシー探検隊総隊長・石原慎太郎が“怪獣探し”で見た人間の本質

『石原慎太郎と日本の青春』より #2

2022/03/24

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能,

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もし怪獣がいるなら

 康君は、世界で最も優秀な深海潜水艦、日本の白鳥号をチャーターしようとしたが、海洋開発ブームで、向こう2、3年はフルブックで、仕方なしにバチスカーフにしたそうだが、前回アメリカ人が持ってきた潜水艇は、1人乗りとかで、水面を航行することもできずに引き揚げたような代物だったそうな。

 こうした日本隊の動向に刺激されてか、年内に再度、5年前に赤外線写真で水中の怪獣のヒレらしきものを撮ったシカゴ大学の水産研究グループも、ネス湖を訪れるそうである。彼らは、日本隊の潜水艇に対抗して、トロール船を雇い、水底を渫(さら)うそうな。

 湖を囲む山全体のピートを浸して流れ込む雨水のために視界のほとんどきかぬ水中では、怪獣の存在を確かめるには、たとえ魚探をつけても、潜水艇よりも湖底のトロールのほうが、もっと効果的な方法に違いない。しかしそれでもなお、あの烈風の吹きまくる北辺の大きく深い湖の底を徹底調査するのは至難だろう。

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 もし怪獣が存在して、いくつかの資料写真にあるがごとく、時おり湖中を動くなら、怪物との幸運な、しかし恐ろしい遭遇を努めながら待つよりないかもしれない。

 が、ともかく一部の外電の尻馬に乗って書かれた日本の新聞の非難は、現地へ行って読み直せば読み直すほど、もっともらしいが、実は浅薄で卑屈なものでしかなかった。第一、日本での記者会見の内容を無視して、外電が、スポンサーシップへの疑念をもとに云云した隊の性格の問題についても、呼び名は探検隊だろうと、あくまでジャスト・フォウ・ファンだと私は会見で言ったはずだし、いるはずのないネッシーを探すくらいならその金を他に使えとか、ネッシーではなしに、ニホンオオカミを探せという段になっては、よけいなお世話だと言うよりない。

 自分たちの才覚で集めた金を、何に使おうが勝手である。餞別をもらってジャルパックで香港へ行く人間もいれば、ハワイ行きもある。アメリカの金持は、自分のキャディラック・リムジンを、わざわざ運転手ごと船で運んで、ヨーロッパ見物をする。ある者は飛行機をチャーターするだろう。私たちは潜水艇を雇い、アクアラングで怪獣のいそうなネス湖の湖底を見物に行くだけの話ではないか。

 隊の名称にしても、ただの遊びの一行に探検隊とはいささか大げさではあるが、少なくとも、もし万が一それがいたなら、観光変じてまさしく冒険探検となるのだから。私は1度も参加したことはないが、調査案件については、出発前にすでに国会図書館に報告の作成を依頼しておいて出かける、国費をふんだんに使っての各国議会制度調査会などという代議士の海外遊山のための一行よりも、たとえ探検隊と称しても、ペテンからはるかに遠いだろう。

©文藝春秋

 それがいるとかいないとか、それぞれ勝手な前提を振りかざして云々するのも、現地も見ず、人の話も聞かず、資料も見ず、僭越というものである。

 1つだけ言えることは、もし怪獣がいるなら、それは発見されなくてはならない。そもそも人間の進歩とは、そうした好奇心、探究心によって開かれてきたのである。コロンブスたち大航海者の大陸発見への衝動、宇宙飛行士の月面への到着、あるいはリビングストンと、いるならネッシーを見つけてやろうという好奇心は、形や大きさは違っても、あくまでも同質のものである。

 月面到着は、仲秋に月を仰ぐ私たちから、ある種の情緒を確かに奪いはしたが、しかしそのかわり、将来私たち人間が何を得られるか、いまから容易にはかり知れまい。まして発生学、動物学的新発見が何をもたらすか、すでに多くの例が明かしている。

3回目へ続く

「もし怪獣がいるなら、発見されなくてはならない」ネッシー探検隊総隊長・石原慎太郎が“怪獣探し”で見た人間の本質

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