日本初のアクション派女優として数多くの映画、テレビに出演した志穂美悦子さん。1987年、結婚を機に芸能界を引退します。しかし、「花」との出会いが転機となります。2010年にはフラワーデザイナーに師事し、東日本大震災の復興企画や、薬師寺で花展を開くなど、現在は花創作家として精力的に活動されています。アクション女優としての思い出や、「花」の持つエネルギーについて聞きました。(全2回の1回目。後編を読む

2016年、震災復興支援の「ひまわりプロジェクト」での志穂美悦子さん

花を活けるようになった「偶然」

――まず、志穂美さんがお花を始められた理由からうかがえますか。

志穂美 そうですね……もともと両親が植物好きで、一晩しか咲かないと言われる月下美人という花を咲かせて、私を側に立たせて写真を撮ったことを覚えています(笑)。その影響か、私も園芸は好きで、結婚してから庭に寄せ植えをしてみたり、子どもたちとひまわりを植えてみたりはしていました。けれど、お花を活けるようになったのは偶然だったんですよ。

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――どういった偶然が?

2019年9月、九州北部豪雨朝倉復興支援イベント「ひまわりプロジェクト」でライブパフォーマンスを披露した志穂美悦子さん

志穂美 2010年のことでしたが、たまたまお友達から「お花を活ける教室があるんだけど、一緒に行ってみない?」と誘われたんです。その教室は「自由に活けてみてください」という方針だったので、自分の思うまま、好きな花をひたすらオアシス(※花を飾る際に土台として使う、吸水性のスポンジ)に挿していましたね。

――その時点で、お花に関する知識というのはどれくらいあったんですか。

志穂美 まったくと言っていいほど、ありませんでした。ただ、そのころに主人の父の七回忌がありまして、そのときにお供えとして自宅へ届けていただいたアレンジメントがとてもすてきで、「こういうアレンジメントを作ってみたい」と思ったんです。作っていただいたショップを調べてみたら、レッスンをしてくれる教室が併設されていて、そこへも通うことにしました。

――ふたつの教室へ同時に通われたわけですね。

志穂美 そうです。お店の教室で基礎から教えていただきながら、そこで学んだことを、最初の教室で自分なりに考えながら自由に活けていく、ということを繰り返していました。そうしているうちにどんどん夢中になっていって、自分の家で作っては、テーブルに飾って家族に見せたりして……とにかく楽しかったですね。