日本初のアクション派女優として数多くの映画、テレビに出演した志穂美悦子さん。1987年、結婚を機に芸能界を引退します。しかし、「花」との出会いが転機となります。2010年にはフラワーデザイナーに師事し、東日本大震災の復興企画や、薬師寺で花展を開くなど、現在は花創作家として精力的に活動されています。アクション女優としての思い出や、「花」の持つエネルギーについて聞きました。(全2回の2回目。前編を読む)
花の持つパワーを伝えるパフォーマンス
――それから現在に至るまで、活発な活動をされていらっしゃいますが、そのなかのひとつに、千葉県のJA長生と協力して、被災地にひまわりを届けようという「ひまわりプロジェクト」があります。このプロジェクトを立ち上げたきっかけを教えていただけますか。
志穂美 東日本大震災で大きな被害を受けた、宮城県の七ヶ浜町という町がありまして、私はその年の5月ですかね、ボランティアで物資を運んだりするお手伝いをしていました。10日間くらい、一緒に寝泊まりさせていただいたんです。そのつながりで、翌年に仮設住宅でお花教室を開くことになりました。そうしたら、ご主人を亡くしたあるおばあちゃんが、涙をためながら「このお花、お父ちゃんに飾れるわ」と言ってくださって……。
仮設住宅が無くなるまでの4年間、毎年ゴールデンウィークにこの教室を続けました。その間、お花に触れた方々が、少しずつ笑顔になっていったのを見て、私も勇気と力をいただきましたし、お花自体が人にエネルギーを与えていることを実感した時間でした。
――人に元気とエネルギーを与えるというところでいうと、毎年参加されている『世界らん展』でも、生命力を感じる作品を発表されています。
志穂美 今年は特別に、東京ドームホテルの1階ロビーで展示されることになっております。
――新型コロナウイルスの流行前までは、展示作品とは別に、ステージ上で実際に花を活けるパフォーマンスを行われていましたよね。
志穂美 ええ。30分ほどで、ゼロの状態から自分の肉体とお花でひとつの作品を作り上げていくという、まったく別ジャンルへの挑戦でしたね。舞台上ではアシスタントとして、ジャパンアクションクラブの後輩たちに周りを固めてもらいました。
――アシスタントの方々は、女優さんだったんですか? じゃあ、お花のことは……。
志穂美 最初はもちろん花の事はわかりませんでした。ただ、肉体表現は優れていますから、練習をしながらお花のことも少しずつ学んでくれました。最終的にはほとんどの花の名前も水あげの方法もわかるようになりましたよ(笑)。