アクション映画に主演「夢が実現した喜びが大きかった」
――まさに、志穂美さんは18歳で、日本で初めて主演女優がスタントを使わないアクション映画『女必殺拳』(74年/監督:山口和彦)に主演されました。この作品はシリーズ化もされ、海外でも評価を得ました。
志穂美 評価自体よりも、そもそも夢が実現した喜びが大きかったですね。その次に主演作が来たという事ですか。本当は私、主演ではなくて主演を助ける「早川絵美」という役を演じるはずだったんです。主演はブルース・リーの『燃えよドラゴン』に出ていたアンジェラ・マオさんで。ところが、アンジェラさんが何の理由かはわかりませんが出られなくなって、私が主演に選ばれた。うれしかったですね。その日から、さらにハードな特訓が始まったんですよ。
――どこまでも特訓やトレーニングがついてきますね。
志穂美 私は肉体派なので(笑)。
――手塚治虫『ブラック・ジャック』の一篇を大林宣彦監督が映画化した『瞳の中の訪問者』(77年)ころから、アクション以外の作品でも注目を集めます。
志穂美 あれは、テニス選手役の片平なぎさちゃんが主演で、私がダブルスのペアで、ぴったりとついている女の子でしたね。
――大林監督は著書(『 A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』立東舎)で、志穂美さんのことを、コケティッシュな女優として有名な「シャーリー・マクレーンだと僕は思って」いると語っていたのですが。
志穂美 そんなことおっしゃっていたんですか(笑)? 私は直接聞いたことはありませんでした。ただ、その後の『転校生』(82年)にも特別出演で呼んでくださったり、「アクションだけじゃなくやっていけるから!」と熱心に誘ってくださいましたね。
テレビドラマで活躍、バラエティ番組のオファーまで
――その後もアクションのある作品に出演されながら、『二代目はクリスチャン』(85年)などの主演映画、『熱中時代』(78~79年)、『噂の刑事トミーとマツ』(79~81年)といった人気ドラマにも出演されていきます。さらにはバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(83~85年)にも進出されました。
志穂美 そうでしたね。萩本欽一さんのある番組にゲスト出演したときに「アナタは面白いねえ。なんというか、ギャップがあるんだよ」と言われまして、あとになって「今度番組をやるんだけど、出てみませんか?」というオファーをいただいたんです。
――志穂美さんが演じられたのは「良いお婆ちゃん 悪いお婆ちゃん 普通のお婆ちゃん」というコーナーで、萩本さんの奥さん役でした。コントでは、おじいさん役の西山浩司さんに「おじいちゃん、お散歩に行きましょう」と志穂美さんが言うと、身の軽い西山さんが志穂美さんの肩の位置くらいに上げた腕の中に跳び乗って、そのまま志穂美さんが担ぎ上げるというシーンがあったんですが、覚えていらっしゃいます?
志穂美 わあ、懐かしい! 私がいちばん大好きなシーンなんですよ。いま考えると、すごかったですね(笑)。あの番組は本当に勉強になりました。笑いを生むために大事なものは「間」だと教えてもらいましたし、舞台の上での考え方も学びましたし、私にとって大将(萩本欽一さん)との出会いは貴重な体験になりました。