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力石徹のモデルは…格闘技専門記者の山崎照朝

 この漫画の登場人物では、さまざまな実在の人物がモデルになったとされている。

 唯一、モデルとなった人物が判明しているのは力石徹で、これは現在、空手流派「逆真会館」館長で、格闘技専門記者の山崎照朝である。

 これについては、2018(平成30)年12月12日付読売新聞『ジョーと共に連載から30年』と題したシリーズの2回目で、次のような記事が掲載されている。

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「(山崎は)高校時代から空手に打ち込み、極真空手の創始者・大山倍達に弟子入り。池袋の道場で汗を流していた20歳の時、館長室に呼び出され、こう告げられた。『梶原一騎先生が君に会いたがっている』

 後に、『空手バカ一代』などの原作を手がける梶原は、大山らと親しくつきあっていた。(中略)最初は断ったが大山に頼み込まれ、1968年春、渋谷の事務所に出向いた。

 書斎から出てきた梶原は、山崎をじっと見て、こう言った。

『「あしたのジョー」という漫画で、力石徹という主人公のライバルが登場する。そのモデルは山崎、お前だ』

 驚きのあまり、『ああ、そうですか』と返すのがやっとだった」

力石が過酷な減量に挑んだワケ

 ちばは梶原から詳しい外見については聞かされておらず、ナポレオンの肖像画を参考に描いた。のちに山崎を知ったちばは、偶然にも力石と風貌がソックリだったので驚いたという。

力石徹と矢吹丈 『あしたのジョー』50周年記念サイトより

 しかし、特等少年院で「力石がジョーの前に立ちはだかった」という原作を読んだちばは、何とはなしに「大きな男」というイメージを持ってしまった。まだこの時点では、この後に同じ階級でジョーと戦うシーンは想定していなかったため、ちばはうっかりとジョーとは体格差のある人物を描いてしまう。ボクシングは体重別階級制であるだけに、このままでは二人に試合をさせることはできない。梶原は困り果てたが、しかしこれは結果的にケガの功名"となり、やがてはストーリーにもこれ以上ない効果をもたらすことになった。力石が過酷な減量を乗り越え、ジョーとの死闘に勝利したものの、直後に死亡する、というドラマチックな展開と多くの印象的なシーンこそが、まさにこの作品においては最大のヤマ場となったのである。