ファイティング原田、海老原博幸、藤猛など幾多のスターが生まれた1960年代の日本ボクシング黄金時代。その中にあって、ひときわ人気を集めたボクサーがいた。“メガトン・パンチ”こと青木勝利である。
少年院でボクシングに出会い、退院後にジムに入門。連戦連勝で瞬く間に頭角を現し、わずか19歳で東洋王座を獲得した。しかし、その類まれなる才能とは裏腹に、極度の練習嫌いでたびたび失踪し、試合当日に酒を飲んでリングに上がることすらあったという。そしていつしか栄光の座からも転落していった。
そんな青木には、あるひとつの“伝説”が残されている。それが人気漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈の「モデルにもなった」というものだ。果たして、そのウワサは本当なのだろうか?『「ジョー」のモデルと呼ばれた男 天才ボクサー・青木勝利の生涯』(彩図社)より、一部を抜粋して転載する。(全2回の1回目/続きを読む)
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昭和の大傑作『あしたのジョー』
この青木が引退式を行った頃、ほぼそれと同時に始まった漫画作品があった。ボクシング漫画の金字塔”ともいわれる不朽の名作、『あしたのジョー』である。
この作品は、『週刊少年マガジン』の1968(昭和43)年1月1日号から連載が開始され、1973(昭和48)年5月13日号まで同誌に掲載された。原作は高森朝雄(本名:高森朝樹=別ペンネーム:梶原一騎、1987年1月21日没・享年50 以下、本文中では「梶原一騎」と表記)で、作画はちばてつや。単行本の累計発行部数は現在 (2020年)まで2000万部を超え、テレビアニメも1970(昭和45)~1971(昭和46)年と、1980(昭和55)~1981(昭和56)年の二度にわたり放映されている。ライバル・力石徹が作中で死亡した際には、講談社で葬儀が行われるなど、社会現象にもなったことでも知られる、昭和の大傑作である。
原作者の梶原一騎と握手して…
原作者の梶原は、『空手バカ一代』(作画:つのだじろう・影丸穣也)などの原作でも知られ、生涯さまざまな格闘技にも関わっているが、意外にも彼が生涯を通じ心底愛したスポーツはボクシングだけだったという。少年時代から試合を観戦に行くこともよくあり、「(将来は)ボクシングジムの会長になりたい」と語っていたと伝えられている。実は、梶原の原作者としてのデビュー作も、1953(昭和28)年の『少年画報』11月号に掲載された『勝利のかげに』というボクシングをテーマにした絵物語(林唯一・画)だったのである。
作画を担当したちばは、『ハリスの旋風』という作品でボクシングの試合を描いた際、ボクシングジムや関係者の取材をするうちに、「次はボクシングものが描きたい」と思うようになっていた。最初は一人で描くつもりだったが、当時『少年マガジン』の副編集長だった宮原照夫から池袋の地下のバーで梶原を紹介され、「よろしく!」といわれて握手を求められたことで、成り行きのようにそのまま梶原の原作で描くことになったのだという。