ファイティング原田、海老原博幸、藤猛など幾多のスターが生まれた1960年代の日本ボクシング黄金時代。その中にあって、ひときわ人気を集めたボクサーがいた。“メガトン・パンチ”こと青木勝利である。少年院でボクシングに出会い、退院後にジムに入門。連戦連勝で瞬く間に頭角を現し、わずか19歳で東洋王座を獲得した。しかし、その類まれなる才能とは裏腹に、極度の練習嫌いでたびたび失踪し、試合当日に酒を飲んでリングに上がることすらあったという。そしていつしか栄光の座からも転落していった。
そんな青木には、あるひとつの“伝説”が残されている。それが人気漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈の「モデルにもなった」というものだ。果たして、そのウワサは本当なのだろうか?『「ジョー」のモデルと呼ばれた男 天才ボクサー・青木勝利の生涯』(彩図社)より、一部を抜粋して転載する。(全2回の2回目/前編を読む)
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青木勝利の経歴と一致する「ジョー」
さて、肝心の「ジョー」のモデルであるが、これまでには青木勝利のほかに、「ノーガード戦法」の斎藤清作、金平会長と二人三脚で世界への道を歩んだ海老原博幸、クロスカウンターの名手・小林弘などが噂に上っている。
しかし筆者は、「直接のモデルとなった人物」ということであれば青木勝利以外にはない、と考えている。その経歴をまとめてみると、あまりにも一致する点が多いからである。
まず、「ジョー」であるが、その経歴を簡単にまとめれば次のようになる。
「非行少年で、警察に逮捕されかけると大暴れし、少年院送りとなる。入院時には“歓迎リンチ”に遭うが、逆に持ち前の腕力で制圧。また、そこではボクシングと出会い、夢中になる。院内ではボクシング試合を行うが、負け知らず。退院後は、出来たての丹下ジムに所属し、近所の商店に勤めながらプロボクサーとしてデビュー。以後はバンタム級選手として活躍。強打でKOの山を築き、連勝街道を驀進するが、ライバル・力石徹には痛烈なKO負けを喫する。しかし、やがてはそこからも立ち直り、東洋バンタム級タイトルを獲得。一方、その頃からは次第に体がドランカー症状に蝕まれ始める。世界バンタム級タイトル戦では、名王者ホセ・メンドーサに敗れ、結局悲願は果たせずに終わる」