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マンモス西、丹下段平、“用心棒”ゴロマキ権藤のモデルは…

 話を戻すが、この作品における他の登場人物のモデルは、いずれも諸説あり、はっきりしていない。ほぼ間違いないと思われるのは、ジョーの同僚のボクサー「マンモス西(西寛一)」で、これは近年「西一夫」と考えられている。西は、1984(昭和23)年1月1日生まれ。1967(昭和42)年8月3日、岩手県体育館で荻原繁(東拳)の持つ日本Jウエルター級タイトルに挑戦したが、10回逆転KO負け、その後は眼疾で引退することになった。最高位は日本Jウエルター級1位、終身戦績は24戦17勝(1KO)5敗2分である。所属する笹崎ジムには、『ジョー』の連載前に、ちば・梶原も訪れており、西も直接取材を受けている。本人も「自分がモデル」と話しており、西夫人ものちに漫画をみて「風貌が似ている」と記しているのである(インターネットサイト「Mariko-My Husband」)。

 ほか、丹下段平のモデルは、しばしば「元・日本フェザー級チャンピオンの菊地万蔵(田辺)」ともいわれてきたが、ちばはこれを否定している。

「菊地さんは当時、若かったからね。段平はもっとオジさんだし……。顔については、描く前からイメージはありました。傷があって、目にパッチを付けて……というのは梶原さんと話して決めたんです」

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矢吹丈ら登場人物たち。それぞれのモデルは… 『あしたのジョー』50周年記念サイトより

 また作中で、チンピラ連中の用心棒として登場する「ゴロマキ権藤」は、権藤正雄(平安)とみられている。権藤は在日韓国人で本名・権五明。1939(昭和14)年5月5日京都市生まれで、ライバル・海津文雄(笹崎)に勝って東洋ミドル級チャンピオンとなっている。終身戦績は61戦41勝(23KO)18敗1分1EXH。現役当時からたびたび刑事事件を起こしていたほか、暴力団の用心棒を務めていたとも噂された人物で、1966(昭和41)年3月10日にはJBCから、非行行為を重ねたことを理由に除名処分を受けている。

世界チャンピオンの「ホセ・メンドーサ」のモデルは…?

 このほか、東洋チャンピオンの「金竜飛」は、孤児院上がりで日本でも活躍したJライト級強豪の徐強一(韓国)、「カーロス・リベラ」は世界を渡り歩いた伝説の強豪、マヌエル・アルメンテロス(キューバ)がモデルではないか、との噂もあった。ジョーと激闘を繰り広げる「ウルフ金串」のモデルは不明だが、その所属ジムの「大高会長」は、世界Jライト級タイトルマッチで小林弘のカウンターを受けて倒された、沼田義明の所属ジム会長・小高伊和夫(前述)とみてよいであろう。

©️iStock.com

 世界チャンピオンの「ホセ・メンドーサ」は、風貌が似ていることから、バンタム級の名チャンピオン、カルロス・サラテ(メキシコ)がモデルだったとする説が流布されているが、サラテが世界タイトルを奪取したのは1976(昭和51)年なので、これは明白な誤りである。ちばは、「海外から色々な選手の情報を取り寄せて、それで決めたと思う」と話しており、そのモデルは強いてあげるならば、やはり“黄金のバンタム”エデル・ジョフレであろう。