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「中日監督・野村克也」の可能性

「飛び上がるようにビックリされていましたからね。あの姿は忘れられません。そういう監督の人間味のあるところが、私は本当に好きでした」

 結論を先に書くと、中日の後任監督に決まったのは落合だった。落合は翌2004年から指揮官の座に就き、2011年までの8シーズンにわたって重責を担い、全てAクラス入り。前例に囚われない「オレ流采配」で4度のリーグ優勝と1度の日本シリーズ優勝を達成。名将として一時代を築いた。

 素朴な疑問が浮かんだ。

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「中日監督・野村克也」の可能性は、果たしてどこまであったのだろうか。

 当時の球団幹部はこんな話をしてくれた。

「外部というか、球団の周辺から『実績から言っても野村さんはどうか』という話が出たことはあります。しかし当時の野村さんは奥さんの問題がいろいろとありましたから……」

中日ドラゴンズ監督時代の落合博満氏 ©文藝春秋

ともに惹かれ合った二人の名将同士

 私は2009年、野村楽天の番記者を務めていたが、当時の野村は試合前、自軍ベンチに腰掛けながら打撃練習を見守りつつ、番記者と雑談するのが日常だった。だが、中日との交流戦になると様子が違った。

 中日の監督付マネジャーが楽天ベンチへと足を運び「野村監督、落合監督がお話ししませんかと言っています」と伝える。野村はうれしそうに打撃ケージの後方へと歩を進めた。そこで落合と並んで約1時間、野球談義をするのが交流戦ならではの光景でもあった。

 野村と落合が野球人として互いに認め合い、強固な絆が存在しているのが意外であり、またうれしくもあった。ともに惹かれ合った二人の名将同士。互いに生涯の伴侶が強く、個性的であることも共通項といえる。日本シリーズで激突していたらどんな好勝負を展開したのだろうかと、夢想せずにはいられない。

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砂まみれの名将―野村克也の1140日―

加藤弘士

新潮社

2022年3月16日 発売