まず、ヒトラーもプーチンも、その独裁権力を獲得した手法として、生活に困窮している国民に民族主義・愛国主義を扇動したという共通項がある。
1918年に終結した第1次世界大戦の敗戦国だったドイツは、当時の国民総所得の2.5倍もの莫大な賠償金支払いで国民の生活は困窮しており、さらに1929年に始まった世界恐慌の追い打ちによって大量の失業者で溢れていた。そんな社会情勢で、「悪いのは外国だ」としてドイツ民族の復権を主張したことで、いっきに人気政治家になったのがヒトラーだった。
プーチンは困窮するロシアの“ヒーロー”だった
プーチン大統領の場合も同様だ。彼はエリツィン大統領の指名で1999年に首相に就任して政治的実権を握る。すでにその頃から「ロシア人vs.それ以外」という構図で強硬な姿勢を鮮明にしており、ロシア民族主義を前面に押し出して国民を誘導していた。最初の標的は「チェチェン人」だった。ロシアの憲法ではチェチェン共和国はロシア連邦の一部であるとされているが、1991年にチェチェン共和国が「独立」を宣言し、これまでたびたびロシアとの軍事衝突を繰り返してきた。
当時、ロシア裏社会ではチェチェン・マフィアが一大勢力を誇っており、ロシア国民の反感が強かった。その国民意識を背景に、プーチン首相(当時)はチェチェン独立派をイスラム・テロリストだと一方的に宣伝した。それゆえ、多くの国民はプーチン首相が強引に進めたチェチェン侵攻を支持したのだ。
もちろんマフィアと一般のチェチェン人は無関係だし、独立派もテロ組織などではない。しかし90年代の極端な困窮に喘いでいたロシア国民の中には、プーチン首相の「悪いのはチェチェン人」との扇動に騙された人も少なくなかった。
ちなみに、プーチン政権(エリツィン大統領はすでに重度のアルコール依存症で職務不能)はチェチェン侵攻の口実作りのために、情報機関「FSB」(連邦保安庁)にチェチェン人のしわざと見せかけたモスクワ爆弾テロを起こさせるなどの裏工作をしていたことが今ではわかっている。すべて計算ずくの謀略である。