1ページ目から読む
3/6ページ目

 2000年にプーチンは大統領に就任するが、当初、標的としたのが新興財閥「オリガルヒ」だった。旧KGBの権限を強化し、ロシアの国家資産を私物化して海外で富を築いていたオリガルヒを次々と弾圧。この時もオリガルヒに反感を募らせていた多くのロシア国民が拍手した。プーチン大統領はそんな国民に対し、「悪いのは西側だ」と扇動した。

ウクライナ危機に際して、プーチン大統領をヒトラーになぞらえて批判 ©getty

 プーチン大統領は2005年4月の連邦議会では「ソ連の崩壊は、20世紀最大の地政学的惨事である」と演説。プーチン大統領の言う惨事とは、社会主義の崩壊ではなく、大国ロシアの崩壊という意味だ。

 この「大国ロシアの復活を」と「悪いのは西側(とくに米国)だ」というキャッチーな言葉は、とくに90年代に苦難の時代を経験した層に広く受け入れられ、国内世論でプーチン大統領の人気は高まり、盤石の支持が維持された。

ADVERTISEMENT

「ウクライナはネオナチ」作り話が信じられたワケ

 その後、2014年のクリミア侵攻・併合ではロシア政府が喧伝した「ウクライナのネオナチ勢力に弾圧されていたロシア系住民を救った」という作り話が浸透し、プーチン大統領の人気は絶頂を極めた。

 プーチン大統領はさらに愛国主義を扇動し、しかも国の制度に取り入れている。

 たとえば2015年4月、プーチン大統領は愛国教育の強化の必要性を主張し、教育科学省(現・教育省)に愛国教育の拡大を命令。さらに連邦青少年問題局「ロスモロデジ」に対して、2016年から2020年までの5カ年計画として「ロシア国民愛国教育計画」を計画させた。同計画では、「国を誇りに思う」と考えるロシア国民を8%増加させることが目標とされている。

 これらの仕組みは、かつての社会主義をそのまま愛国主義に替え、全体主義的社会を作ろうという試みにほかならない。社会主義から愛国主義にイデオロギーが替わったソ連の復活のようなものだ。