第二次世界大戦後の混乱期、連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれるも、社会情勢をはじめとした様々な要因により、両親から見捨てられ、孤児となった子供たちがいる。そうした孤児たちを救おうと行動したのは、日本人だけでない。つい数年前まで敵国であったアメリカ人女性も支援の大きな力となったのだ。人種による区別なく、子供たちに救いの手を差し伸べ続けた女性たちの実像とは。

 ここでは、ノンフィクション作家の廣川まさき氏がアメリカでの児童虐待・福祉の最前線に迫った『チャイルドヘルプと歩んで』(集英社)の一部を抜粋。孤児の支援活動に尽力し続けたサラとイヴォンヌの取り組みについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

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“国際”孤児支援法人

 軍の飛行機で帰国したサラとイヴォンヌは、すぐさま借りていたハリウッドの部屋の隅に小さな事務所を設け、看板を掲げた。

『国際孤児支援法人(International Orphans Inc. 略してIOI)』

 サラは、私に言った。

「名前に『国際』と付けたのはね、この問題(編集部注:終戦後の日本で、占領軍兵士の間に生まれた混血児が孤児になっていた問題)を多くの人に知ってもらうため。わざと大袈裟な名前を付けたのよ」

 効果はてきめんだった。ハリウッドでは孤児たちへの意識が高まり、二人の周りに多くの賛同者が集まった。その数160人。寄付を募るキャンペーンを繰り広げると多くの資金が集まった。

 寄付金は、東京にある次の4か所の孤児施設の支援に使われた。施設はみな、現在も存続している。

堀内キンが創設した世田谷区の『福音寮』

 

ヒュー・モートンが創設した武蔵野市の『のぞみの家』

 

キリスト教会愛隣会が運営する目黒区の『若葉寮』

 

澤田美喜が創立した神奈川県中郡大磯町の『エリザベス・サンダース・ホーム』

「おもちゃ」や「物資」を持ってきた海兵隊の隊員、海軍士官

 アメリカには、もともと寄付の文化が根づいている。支援活動も順調に進むある日のこと、海兵隊の隊員たちがやってきた。襟を正し、キリリとした姿勢で彼らは言った。

「私たちも、日本の子供たちのために、子供服やおもちゃを集めました。あなた方が支援している孤児院に送ります。そのことをお伝えしに来ました」

 それは、段ボール箱何十箱分もあった。

©️iStock.com

 また、しばらくして今度は海軍士官たちがやってきた。彼らも、背筋を伸ばしてこう言った。

「私たちは、約1000人分の子供たちへの物資を集めました。海軍の輸送艦と航空輸送機を連携させ、それを日本に運ぶ手はずを整えました。その報告に来ました」

 サラとイヴォンヌは驚いていた。

 あの夜、ステージで勇気をふりしぼって呼びかけた。それに応えようとする兵士たちの温かな心は、その後も続いたのである。