田島 そうかもしれねえ。それで転校せずに済んで、3年の時、その先生が俺のクラスの担任になった。だから俺は頭を丸めて机も一番前で、先生の授業の時は一言も騒がない。でも他の先生の授業は騒いでうるさいからって、その間は職員室に来いと。それで先生の隣に座って、毎日、お茶飲んでたな(笑)。
――授業、出なくてもいいんですか?(笑)
田島 当時は学生運動が盛んで大学生が勉強しないで、こん棒もって振り回してた時代だから。今とは違って適当だったの。それで、うちの学校には応援団がなかったから、先生が「おまえ、仲間を集めて応援団を作れ」って勧めてくれて。俺は不良たちを束ねて初代の団長になったんだよね。
応援団を作ってまとまっていれば、はちゃめちゃはやらなくなる。夢中になるものがあるから、学校も通うようになるし。その先生とは今も付き合いがあるんだ。俺、もう74歳なのに、今も順坊、順坊って呼ぶんだよ(笑)。
高校にトラックで通学
――いい先生ですね。それで高校を卒業した後にトラックに乗り始めたんでしょうか?
田島 いや、在学中から。高校3年生の時、免許とってからは、うちの瓦を運ぶトラックで通学しててよ。といっても1トン、2トンのちっちゃいダットサンとかだけど。
――えっ、当時はトラック通学もできたんですか?
田島 本当はダメ。でも俺はそういうのは気にしない(笑)。学校のそばに飲食店があるわね、そこん家の駐車場に停めて学校と店を半々くらい通ったかな。時には学校サボって、仲間を荷台に乗せてシートかぶせて、ここから近い渓谷の長瀞とかの河原によく行っていたよ。
バーベキューなんてしゃれたことはできないけど、適当に何か持ち寄って。今じゃ問題になるだろうけど、トラックで仲間と楽しむということを高校時代に覚えたのかもしれねえな。
――いじめられていた小学校時代とは大違いですね。
田島 そうだね。体もすっかり強くなったし、親からは「卒業したら瓦屋を継げ」とは言われていたけど、まだそんな気がなかったんだよね。それより、小さい頃から「清水の次郎長」を聞かされていたから国を守りたい気持ちもあってよ。たまたま、うちの高校は、番長クラスは海上自衛隊に行く伝統があったの。
番長はボクシング部の奴で、団長の俺とは兄弟みてえにしてて、二人で学校を仕切っていたんだ。だけど、そいつはプロになるためにジムに入っちゃった。だから自衛隊に行ったのは学校で俺ひとり。後の奴らは警察官とか。みんな、学校では突っ張っていても、自衛隊はすごく厳しいのを知っているから、受ける根性はねえんだよ(笑)。
海上自衛隊は厳しかった
――なぜ海上自衛隊に? 陸上のほうが田島さんが好きなトラックの運転もできそうですが。
田島 海上自衛隊の制服がかっこ良かったんだよね。陸上や航空と並べたら、セーラー服のほうがいいやん(笑)。今はどうか知らないけど、その頃の自衛隊は「入ってくれねえと困る」って、名前さえ書ければ誰でも入れたんだ。だって教官が答えを教えてから問題を出すんだから、当時は全員、受かっちゃう。俺みてえな奴はどこの会社も雇ってくれねえけど、自衛隊なら入れてくれた。
――おおらかな時代ですね(笑)。海上自衛隊に入隊した後、最初はどこで訓練をしたんですか?
田島 海上自衛隊の新人訓練所って全国に呉と横須賀、佐世保、そして舞鶴と4か所あったんだよ。その中でも海軍時代から京都府の舞鶴教育隊が一番、規律も訓練も厳しいって言われてて、俺はその舞鶴に行かされたんだけど、初めはすごいきつかった。だって俺、ひとつも泳げねえから。
――えっ、泳げないのに入隊したんですか?